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第19日 江尻〜府中   
                      (静岡)
                    宿間の距離  10.5km   1998.05.04
                    歩いた距離  21.1km      

 朝食前に宿の近くを散歩する。

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 新しい建物の清水市役所
市役所のベランダに黄色いフラッグが多数立っている。
組合旗かと思ったが、清水エスパルスの応援旗である。

 玄関の前に巨大な「招魂社」をシンプルにしたような石像があった。
顔は大きくひょうきんで、おかっぱ頭で、昭和3年(1928)作。
説明板にこの「唐獅子」は戦災前にも玄関に設置されていたと
書かれてあった。

 港へいく。ヨットが数十艘係留してある。

 大きくはないが、松が立派な水神社。「寛永年間(1624-)清水の海岸一帯に数回にわたり津波
が襲い大きな被害をうけたので、風濤鎮護のため巴川の中州に水を司る水神を祀りました」。

 朝食後、府中に向かって出発。

 清水銀座通りを通る。ここが江尻宿であるが、路面が工事中で人通りがなく寂しい感じ。

 つきあたりが魚町稲荷神社。天正6年(1578)武田信玄の城将穴山梅雪が江尻城を本格的に
経営した時、鎮護の神として社殿を造営したといわれている。

 巴川にかかる稚児橋。慶長12年(1607)渡り初めの日、突然川中から童子(河童)が
現れたのに因み、この名がついたという。橋の上に河童の腰掛け石がある。

 船高札場がある。
船が破損し付近の人が荷物・船具を引き上げた時の褒美の割合が書かれている。

 江尻宿木戸跡の碑。

 正面に「しみづ道」左側に「南無妙法蓮華経」と彫られた追分道標がある。
清水港、久能山方面への分岐点である。 

tokaido19-2.JPG tokaido19-3.JPG  そこに赤いのれんで格子造りの
追分羊羹の店
女主人に話を聞きながら、お茶をいただく。
今の建物は明治の造りだが、昔を復元して
いる。
 この店は赤い毛氈に店員が座って商う
「座売り」で、今では珍しいとのこと。

 県の指定文化財である延寿院不動堂がある。
 このお堂は「室町時代末期の優美な建築様式を持つ方三間堂で、細部は江戸時代初期の
手法が見られます」。
正面の扉におまいりの仕方が書かれてある。
それによれば「1.鰐口(二打)、合掌、礼拝 2.供物(賽銭など) 3.唱号(三度) 
4.御真言  5.お願いごと 6.合掌、礼拝 、鰐口(二打)」

 その先に森の石松を殺した都田(都鳥)一家諸精霊供養塔がある。

 狐ヶ崎に久能寺観音道の碑があり、久能山道が分岐する。

 上原子安地蔵堂がある。ここは「天正10年(1582)2月徳川家康が武田勝頼を攻めるに
先だち、江尻の城主穴山梅雪とこの地蔵堂で会見し、梅雪は家康に降り、
武田氏滅亡のきっかけとなった」所である。

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 左に十七夜山千手寺。きれいな境内で建物も白壁で大陸風。句碑
などが多い。上田千石の句「柚子湯出て 慈母観音の如く立つ」。

 有度(うど)という地区を通り広い道路に合流して進むと、
左側に大鳥居と「此奥有草薙大明神」の道標がある。

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 左奥に1kmほどいくと草薙神社がある。
途中に「日本(やまと)橋」「御社橋」など神社にちなんだ橋が
架かっている。

 鬱蒼とした森に日本武尊の石像がある。
「景行天皇第二皇子の日本武尊が東国の蝦夷を平定するため
吾嬬国に行く途中、この地で逆賊が起こり尊を殺そうとして
原野に火を放った。尊は剣を振り草を薙ぎ払い、火を逆賊の方へ
なびかせた」。
「佩用されていた天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を草薙剣と
名称を変更し、神社の神剣として奉られた」。

 鳥居から階段を上がった所に御神木の大楠。
樹齢千余年といわれ朽ちて外皮を残すだけであるが、なお枝葉がついている。

 拝殿の中には、彩色も薄れた日本武尊が草を薙いでいる扁額があった。

 右の狛犬は耳がたれ、左は耳が立っている昭和56年(1981)の「鈴しょうわ」がいる。

 旧道にもどる。東名高速をくぐりなおいくと、JR線際に「旧東海道記念碑」がある。

 狭い北村地下道でJRをくぐる。静鉄に沿って古庄にいく。

 老夫婦だけでやっている暗い雰囲気の「うなぎ屋」という名の店で昼食。

 所々にお地蔵様があり草花で飾られている。

 柚木駅の近くで静鉄を越えると護国神社。緑が多く広大な境内で、本殿は工事中であった。

 昭和20年(1945)8月の巨大な「招魂社」の狛犬がいる。
大口を開けたア、小さな上歯をのぞかせて角があるウン、見ているとひょうきん。

 繁華街である伝馬町を通り、駿府城をめざす。
途中に駿河土鈴仰嶽工房という看板がかかった店。昔の鋳物師町の標示。
商家造りの艾(もぐさ)屋。

 東海道中膝栗毛で有名な十返舎一九は駿府の下級武士であったという説明板。

 伝馬町の由来碑がある。「伝馬町の歴史は東海道五十三次の宿と定めたことに始まる。
本陣・脇本陣・問屋などが置かれ旅宿や商家が軒を連ねていた」。

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 寿司屋「宇を鉄」の前に、西郷隆盛と山岡鉄舟会見の碑がある。
両者が慶応4年(1868)3月に江戸無血開城について、
ここにあった松崎屋弥兵衛宅で会談したという。

 店先には両雄の顔を描いた暖簾がかかっている。

 札の辻跡がある。
 そこから県庁までの七間町通りが歩行者天国で、屋台が出てグループが歌っている。

 お堀の外側に静岡市役所。きれいなドーム様の庁舎。そこに駿府町奉行所跡の
碑があった。お堀を渡ると県庁である。

 駿府城公園にはいる。お天気の祭日で多くの家族連れがいた。
恰幅のよい家康の鷹狩り姿の銅像が立っている。

 お城の西側にある浅間神社にいく。
「日本にて神社の美麗なること日光を第一とし浅間を第二とす」というもの。
大鳥居、青銅の楼門、朱塗りの本殿などすべてが豪華絢爛。
狛犬はいなかった。

 浅間通りという門前町を静岡駅にもどる。

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 駅の近くに小梳(こぐし)神社
 家康が今川義元の人質として駿府にいた時、境内でよく
遊んだ思い出の場所として、この神社を大切にしたという。

 昭和27年(1952)の青銅の「招魂社」狛犬
耳が丸く立っていてネズミに似ている。左には角がある。

 境内に宗像神社(俗称出世弁天社)がある。
小さな祠と小さな「しょうわ」狛犬。

 静岡駅から乗車して帰宅。

東海道一口メモ : 日本武尊

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