興津橋を渡り興津にはいる。「鎌倉時代以降、興津氏の知行地で居館を構えていた。
江戸時代には東海道の宿場町として発展した。また身延甲府へ通じる甲州往還(身延街道)が
分岐しており、興津川流域で生産される和紙の集散地である」。
右に宗像神社がある。
この神社は一説に筑前(福岡県)より宗像神社の興津宮を勧請したといわれており、
それが地名の由来となった。
「当社は興津川の西側にあり、女体の森といって舟人たちの灯台かわりにされていた」。
樹木が鬱蒼として落ち着いた雰囲気。
境内の一角に石柱に囲まれた小祠があり、大祓湯立の儀式の場である。
「大祓とは知らず知らずの内に犯した罪やけがれを祓い清め災いを取り除く神事で、
竹の葉を使用して熱湯を我が身に振りかける儀式」である。
なお旧道をいくと、身延道との分岐点があり、古い大型の珍しい形の石灯籠がある。 |