橋を渡ると右に赤い大鳥居がある。
ここから鶴嶺八幡宮の参道が約1kmあり、松並木である。
その参道わきに弁慶塚がある。
この塚のいわれは「建久9年(1198)相模川の架橋落成式に参列した源頼朝が帰途
鶴嶺八幡宮付近にさしかかった時、義経、行家等の亡霊があらわれ馬が棒立ちになり落馬して
重傷を負い、翌正治元年(1199)死去したという。そこで後年義経一族の霊を慰めるため
弁慶塚をつくった」という。
この鶴嶺八幡宮は、「相模の国茅ヶ崎の総社として名高い。
康平年間(1058-)源頼義が東征の際石清水八幡にならい、本郡の懐島郷に一社を創立し、
後に源家が現地に奉遷した」という。
境内に大きな銀杏があるが、この木は源義家が前九年の役(1051)の戦勝祈願に手植えした
ものであるという。 |