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第2日   浅草〜北千住 (その2)

             (歩いた距離   8.1q  2005.02.26)

 吉野通を行き、左にはいると東禅寺がある。

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 宝永7年(1710)の大きな銅製の地蔵菩薩像がある。
江戸六地蔵の一つで、これは奥州・日光道中の入り口に置かれたものである。

 同様の江戸六地蔵を、東海道では品川の品川寺で、
甲州道中では新宿の太宗寺で見た。

明治通と交叉するところが泪橋の交差点である。

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 地下鉄南千住駅を超える高架橋を渡る。

 その高架橋の下に、小塚原刑場跡がある。
 江戸の刑場は品川の鈴ヶ森とこの小塚原である。

 首切り地蔵といわれる大きな延命地蔵がある。

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 そのすぐ先に回向院があり、安政の大獄で刑死した橋本左内、吉田松陰や
2・26事件に関係した磯部浅一の墓がある。

 また鼠小僧次郎吉の墓もある。
「鼠がものを引くところから無尽のまじないとされ、
またこの墓の石片を持っていると博打に験ありとされ、
次々に欠いて持って行かれる」という。
確かに古い方の鼠小僧の墓石は丸まっていた。

nikko02-16.JPG  玄関には「観臓記念碑」がある。
「明和8年(1771)に杉田玄白、前野良沢、中川淳庵が、
小塚原へ臓分(ふわけ)を見に来て、
蘭書の解剖書ターヘルアナトミアが精確なのに驚いた。
その翌日からターヘルアナトミアの翻訳に取りかかり、
3年かけて『解体新書』をつくりあげた。
このことが日本の近代文化が芽生えるきっかけになった」
と説明されている。

nikko02-17.JPG  国道4号線(日光街道)と合流するところに
素盞雄(すさのう)神社がある。
「延暦14年(795)、荊石が微妙な光を放ち、
その光の内に翁の姿をした素盞雄の命、
事代主命(ことしらぬいのみこと)の
二神が現れて神託を告げた。
その石を瑞光石と呼び、
出現した二神を祭神として祀った」という。

 鳥居の前に耳が下がっている文化5年(1808)の「江戸」狛犬がいる。
右ア左ウンとも、たてがみも尾も毛が豊かで尾は上がってから流れている。

nikko02-18.JPG nikko02-19.JPG  拝殿の前に
大きな獅子山
狛犬がいる。
 右からア・ウンで、
構えている姿で、
尾は持ち上げて
後方に流れている。
左の山には子狛が
はいのぼっている。

 境内に岩石を盛って作られている小山が浅間神社である。
 ここに瑞光石があるというが神社内に入れない。

 右からウン・アでたてがみがカールしている「はじめ」狛犬がいる。

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 千住大橋で隅田川を渡る。

 千住大橋は、家康が江戸で最初に架けた橋である。

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