もどる すすむ
旧東海道にはいるために大井町で下車し、ゼームス坂を下る。「英国人ジョンMゼームス。 慶応2年(1866)に来日し、坂本龍馬とも知り合い、日本海軍の創設に貢献した。 その後、ここに住み、明治41年(1908)70歳で没した」と説明されている。 現在、ゼームス邸はマンションになっている。
この坂は狭いが、青銅製の看板建築があったりして戦前の名残を残している。
京急の青物横丁駅の横を通り、旧東海道の商店街を南へ。
鮫洲八幡神社がある。鮫洲の地名の起こりは、「海晏寺の寺伝に よれば、建長3年(1251)品川に大鮫が浮きでて、腹を裂いたところ 木造の観音像が出現し、人々に恩を与えた。 この観音を本尊にしたのが海晏寺で、 鮫の頭は八幡に祀られたので、地名が鮫洲となった」という。
立会川に架かる浜川橋を渡る。この橋は一名涙橋で、江戸から 鈴ヶ森の刑場に送られてくる罪人を親族がひそかに見送り、この地で 別れの涙を流したという。
旧東海道が国道15号と合流するところが鈴ヶ森の刑場跡で、 慶安4年(1651)に設けられた。 四角の穴があいたはりつけ柱の台石と 丸い穴があいた火あぶりの鉄柱の台石がある。 その供養のための髭題目を刻んだ石碑がある。
大森本宿の鎮守であった貴船神社(来菅神社)がある。ここの 大正4年(1915)の「江戸くずし」の狛犬は太っており、彫りが角 ばっている。
梅屋敷公園にいく。ここは道中薬で有名な「和中散」の売薬所 の庭であった梅の名所。 庭の一角に里程標があり、そこに「距日本橋三里十八町 蒲田 村山本屋」と刻されていて、現在は復元されたものが立っている。
大きく立派な六郷神社がある。脇参道が旧道に面している。 ここは「六郷一円の総鎮守として崇敬されていた。 頼義・義家の父子が、天喜5年(1057)この地に源氏の白旗を かかげて軍勢を募ったところ、志気大いにふるい、 前九年の役に勝利をおさめたので、石清水八幡の分霊を勧請 したのが当社の創建といわれている」。
六郷神社の境内の一角に、六郷橋が鉄橋にかわった時の橋脚(親柱) が残されている。
脇参道から六郷橋に向かう道筋は、旧東海道の幅員を比較的よく残して いるといわれている。
その一角に北野神社(止め天神)がある。「八代将軍吉宗公の乗馬が暴走して、あわやと いうときに、北野天神のご加護によって、将軍の落馬を止めたという。 近郊の村人町人は落馬という呼び名を省いて止め天神といい、人の身に降りかかる悪いこと をいっさい止めてくださる天神様として崇敬している」。 境内に昭和9年(1934)の「江戸」狛犬と千年石と万年石。
新六郷橋で多摩川を渡り、川崎へ。
地図へ : 狛犬カタログへ : 狛犬一口メモ : 東海道一口メモ : 注と参考資料