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第2日   浅草〜北千住 (その3)

             (歩いた距離 8.1q   2005.02.26)

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 千住大橋の北詰におくのほそ道矢立初」のがある。

 「『千じゅ』と云う処にて船をあがれば、
前途三千里のおもひ胸にふさがりて、
幻のちまたに離別の泪をそそぐ。
『行春や 鳥啼魚の 目は泪』」と芭蕉の「奥の細道」の
一節が書かれている。

 「奥の細道」は、芭蕉が門人曽良を伴い、旧暦元禄2年(1689)3月27日に深川の芭蕉庵を発ち、
東北、北陸を回って大垣に到着するまで150日、2400qの大紀行である。

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 左に入ると橋戸稲荷神社がある。

 「文禄3年(1594)千住大橋が架けられると人、馬、舟の往来が多くなり、
この神社は信仰を集めるようになった」。

nikko02-23.JPG  獅子山の上に、後脚が跳んでいるキツネがいる。
 左は口先が欠けている。

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 拝殿の前扉には、名工伊豆長八が制作した
白狐の鏝絵の彫刻がある。

 長八の鏝絵は東海道品川の寄木神社にあったが、
それ以来である。

nikko02-28.JPG  都立足立市場の前の道がヤッチャバ通りである。

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 そこに平成16年(2004)にできた
大きな芭蕉の旅立ち姿石像があり、
小公園になっている。

 千住宿の標柱があり
「みぎ日本橋 ひだり草加」と彫られている。 
 ここからが千住の宿であり、
日光・奥州道中の最初の宿である。

nikko02-30.JPG nikko02-31.JPG  ヤッチャバ通りの各商店には昔の屋号と商売名が書かれた
木の看板がかけてある。
「元長床茶屋 将軍鷹狩休息所」
「長下部 元団子や 丸太屋」などと書かれ昔の様子がしのばれる。

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 道の左に、紙問屋横山家の土蔵を移築したプチテラスがある。

 千住宿の歴史を伝える写真やヤッチャバなどの道具が展示されている。
 留守番のおばあさんがいて、色々説明してくれた。

nikko02-33.JPG nikko02-32.JPG  左に河原稲荷神社がある。
 大きな江戸」狛犬がいる。
 浅草神社の狛犬とよく似ている。
 足立区で最大のもので、
「何でも大きなものが好きなやっちゃばの
旦那衆が造りあげたものである」。

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 宿場町通りを行く。

 墨提通りを越えると、千住の「高札場跡」の碑、
「一里塚跡」の碑がある。
 商店街で人出が多い。

 右に足立都税事務所があり、その一角に「森鴎外旧居橘井(きっせい)堂跡」の碑がある。
「鴎外の父静男は津和野藩の藩医であったが維新後、上京し南足立郡医を勤めた後、
この地で開業した」という。

nikko02-35.JPG 本氷川神社がある。

nikko02-37.JPG nikko02-36.JPG 獅子山」の狛犬がいる。
 素盞雄神社の狛犬より
一回り小さいが同じような
格好をしている。
 右からウン・ア、雄・雌で、
ともに印がある。

 北千住で東武線に乗り、帰宅。

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