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第40日 草津〜大津       

                  宿間の距離    14.3km      1999.10.09
                  歩いた距離    17.9km            

 今回は2泊の散歩で、東海道五十三次の踏破を目指す。

 指定席をとった新幹線に乗り遅れ、次のひかりに乗るが、満席で立っていく。

 京都に着き、草津にもどる。

 草津の駅ビルの中に、名物の「うばがもち」の販売店がある。
うばがもちは、「織田信長に滅ぼされた佐々木義賢(よしかた)の孫を乳母が
養育するために、つくって売ったもの」という伝説がある。

 アーケードのある商店街を通って、小汐井神社にいく。「御祭神の田心姫命は
宗像大社(福岡)、淡島神社(広島)の御祭神とともに神代三女神の一つである」。

 明治3年(1870)の小太りで、ウンに角がある「京尾太」の狛犬がいる。
舞殿の中には白犬を描いた木の衝立が置いてあり、犬が水天宮の使いであると
説明してあった。

 道の角にあるお地蔵様は、8月の地蔵盆の名残で顔が化粧され、写経された
新しい前垂れをかけている。

 草津川土手の旧東海道にはいり、草津川橋で川を渡る。

 川の土手に地蔵堂と常夜灯がある。

 土手を下る道にはべんがら塗りの連子格子の町屋が並ぶ。
二階の壁が白い漆喰の家に混じり黄土色のものもあり、京都まで時々出会う。

tokaido40-1.JPG  突き当たると「右東海道いせ道 左中山道美のぢ」と
彫られた文化13年(1816)の追分道標がある。
そこに草津川隧道があり、「完成は明治19年(1886)で、
その後は中山道の人馬の川越は廃止された」とのこと。

tokaido40-2.JPG

 草津本陣資料館になっている。
建て直して新しく、白壁と黒い瓦、べんがら塗りの柱の
色の調和がよい。
卯建(うだつ)が上っているのが嬉しい。

 上段の間、湯殿、便所がある。
「二川の本陣に似ているね」と話していると、
管理をしている人が「二川の資料館を造るとき
草津に勉強にきたのだ」と自慢らしくいっていた。

tokaido40-3.JPG  玄関に西国大名の関札が展示してある。
「これは各藩の関札役人が持ってくるものなので、
尊称の様をつけていない。また関札に書かれている
『宿』は行列に台所役人が加わっていて料理をする
ものである。
『泊』は本陣が料理を提供するもの。
『休』は昼食のみを出すもの」であるとのこと。

 向かいにある脇本陣がうどん屋になっているので、「七福うどん定食」で昼食。

 一階が店で、中二階は明かり窓が「虫籠(むしご)」という楕円形になっている
ものや桟だけのものもある、白い漆喰の店が並んでいる。

 ひときわ大きい建物は「道灌蔵」の造り酒屋。
ここは「かくし目付」として街道の動静を見張るので「草津政所」といわれた
所である。

 立木神社。長い参道の奥に、重厚な檜皮葺きの本殿。
 狛犬が多いのにびっくりした。
大鳥居の前に昭和24年(1949)の大型で扁平顔の「京尾立」狛犬。
鳥居の中に昭和18年(1943)の「鈴しょうわ」。
山門の前に真っ黒に変色した小太りの天保2(?)年(1831)の「京尾立」。
学校の同窓生による厄除け祈願の「しょうわ」と「新しょうわ」が3対。
ほかに「参道鹿」2対。また本殿の縁には「神殿」狛犬がいる。

 由来によれば「称徳天皇神護景雲元年(767)御祭神武甕槌(たけみかづち)命が
御鎮座の地を求めんと欲せられて常陸の国鹿島神宮を起ち給い、同年この地に
着き給う(今の世に初めての旅立ちを鹿島立ちといふは是による)。
是当社の創建なり」。

 かつて「うばがもちや」があったという、大きな木のひょうたんが飾ってある
ひょうたん細工の瓢泉堂の前に「矢倉の道標」がある。
これは琵琶湖を船でいく人のためのもので「右やばせ橋」と書かれてある。

tokaido40-4.JPG  ここに小さな地蔵堂があり、全体が白く塗られた
双体地蔵がある。
地蔵盆の時に子どもたちが彩色したのだろうか。

 新宮神社がある。ここも狛犬の数が多い。
社殿の塀の前の元治元年(1864)の「京うちわ」の他に5対の狛犬がいた。

 野路萩の玉川。萩の植えられた小さな公園である。湧水の泉があった所で、
源俊頼の「あすもこむ 野路の玉川萩こえて 色なる波に月やどりけり」の
歌碑がある。

 「池に映った美しい月の姿から名付けられた」月輪の地名。
ここに月輪寺がある。

 一里塚跡の碑があり、それに因んで一里山町の地名が残る。

 瀬田の唐橋に向かう途中、御霊神社に寄る。
ここは壬申の乱(672)で敗死した大友皇子を主祭神とする神社。
目が鋭い昭和3年(1928)の「京尾立」の狛犬。

 近江一の宮である建部神社
 参道入口に大鳥居と大きな灯籠がある。
 拝殿には菊と葵と三本杉の幔幕がかかっている。
その前に連歌講が寄贈した狛犬がいる。
右アは石の上で逆立ちした形の「逆さ獅子」で後ろ足が欠けているのが残念。
左ウンも石の上にいるが両手で玉を押さえて構えて座っている「構え」。
その組み合わせの狛犬を「構え(逆さ)」とする。

tokaido40-6.JPG tokaido40-5.JPG  境内の小さな祠の前に明治22年(1889)の
小型の「構え」の狛犬がいる。
右ウンは反物か絨毯を巻いたようなものを
両手で押さえており、左アは大きな玉を
両手で押さえている。

 この辺りの黒瓦の家は屋根がすこし山型に丸まっているようだ。

tokaido40-7.JPG

 いよいよ瀬田の唐橋に着く。温かい秋の夕暮。
波もない青い水面で、猪木(ちょき)が舫っている。

 瀬田の唐橋のたもとに、小さくひなびた
勢多橋龍宮秀郷社。俵籐太(藤原秀郷)の
三上山(近江富士)のムカデ退治の伝説に
まつわる神社。
「むかで射し昔語りを旅人の 
いいつき渡る勢多の長橋 大江匡彦」。

 唐橋で瀬田川を渡る。橋の下では学生がボートの練習をしている。

 中国の寺院のような造りでそった瓦屋根に白い漆喰窓の料理屋であろうか。
また二階建てのべんがら塗りで黄土色の壁の旅館。
きれいな町並みが残っている。

 唐橋前駅で京阪電鉄を越え、石山駅でJRも越える。    

 琵琶湖に沿って旧道があり、ジグザクして宿の中を通る。
NECの横の松並木がきれい。

 若宮八幡宮。「表門は、明治3年(1870)に膳所城取り壊しの際に
移築された犬走り門である。
軒丸瓦には城主本多氏の立ち葵紋が見える」。
本殿は塀に囲まれていて近寄れないが、その中に「京尾太」の狛犬がいる。

 篠津神社。この表門は膳所城の北大手門を移築したもの。
ここも本殿は塀に囲まれているが、隙間から中に入って狛犬を撮影する。
顔が大きく、尾が極端に小さい「京うちわ」の狛犬。

tokaido40-8.JPG  古い町屋で久しぶりに「ばったり床几」に出会う。

 膳所神社。この表門は膳所城の二の丸から本丸への入口にあった城門で、
全体がゆったりつくられた神社である。

 顔が小さく、たてがみが大きくカールしている明治36年(1903)の「京尾太」の
狛犬がいる。本殿は工事中で、舞殿までしか近寄れない。

 夕方になり写真も撮れなくなったので予定を切り上げて、
膳所本町駅から京阪電鉄に乗り、浜大津駅までいき、ホテルポートサイドに着く。

 近くの朝鮮焼き肉屋「おおはし亭」で夕食。

 

Q.狛犬は誰が設置したのか。

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