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第39日 水口〜石部〜草津    
                    (三雲)
                                   宿間の距離    13.7+11.7km   1999.08.23
                  歩いた距離           21.1km          

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 ホテルを出発し、街道をいく。

 今日はお盆の翌週の日曜日で「地蔵盆」である。
地蔵堂をきれいに飾って野菜や菓子のお供えがしてある。

tokaido39-2.JPG  JRの線路を渡っていくと、土砂が堆積して川の方が道や
平地より高く天井川になってしまった、大沙(おおすな)川がある。
川の下がトンネルになっていて、街道はこれをくぐっていく。
 トンネルを抜けると左側に「弘法大師が植えたとも、食事をし
捨てた箸が芽を出したともいわれる弘法大師錫杖杉」がある。
川の土手に上ると、小さな祠と大きな杉の木があった。
川は土手が石垣で底がコンクリートになっていたが、
水は流れていなかった。

 道をいくと左の山の上に白く目立つ岩がある。これが三雲氏の砦といわれる岩か。

 再び天井川のトンネル。由良谷川である。

 「御代栄」の北島酒造がある。
 この辺りは甲西駅の近くであるが、街道沿いの町並みがそろっている。

 子安地蔵尊と書かれた標石の上に提灯が出ているので、左への細い道をはいっていくと
西照寺がある。境内の子安地蔵のまわりに多くの提灯がかけて飾ってある。
また、その脇に近隣から集められたという何十ものお地蔵さんが新しい前垂れをつけて、
色とりどりの提灯で飾ってある。

 お寺の前で草取りをしていたおばさんに声をかけられ、「少し奥に美し松を神木とする
松尾神社があり、またその奥に美し松原生林がある」ことを教えられた。

 松尾神社本殿は塀で囲われていて中にはいれないが、
尾が三つに分かれた苔むした太った「京尾立」の狛犬がいる。
そして本殿の階段脇の縁に、小型の木製の「神殿」狛犬が置かれている。

tokaido39-3.JPG  なお山の小道をたどっていく。
住宅地をぬけて「美し松」の自生地にいく。
美し松は「アカマツの変種で傘を逆さにしたようにみえる」。
この辺りの土壌は砂質と粘質が混じった独特のもののため、
幹がまっすぐで、2、3メートルまでは枝が出ず一斉にパッと枝が
拡がって、緑が鮮やかで大変きれいな松が自生したという。

tokaido39-5.JPG tokaido39-4.JPG  吉姫神社。境内が二段になっていて、下の段には
こけむした「京尾太」の狛犬。アは玉を前足とあごの
間に挟み込んでいる初めてみる姿勢。
 本殿の階段脇には塗料がはげていている木製の
「神殿」狛犬がいる。ウンには角がある。

 この辺りが石部宿の東の木戸である。本陣跡の標石がある。

 「仏壇仏具神輿 石部のぬし屋」と看板が出ている小さな店がある。

 JR石部駅に着くが、近くに食堂はないので、駅舎に併設されたコミニティハウスで
カップヌードルを買い、お湯をサービスしてもらい食べる。

 駅前には木戸を構えた小さな公園があり、石部の案内板が立っていた。
それによれば「いしべは、古くから伊勢までの街道として栄え、江戸時代には『京立ち、
石部泊まり』として賑わった東海道五十三次の五十一番目の宿場町でした」とある。

 街道を進みすぐに旧道も二股に分かれるが、JR沿いの下道(したみち)をいく。

 この辺りは五軒茶屋という場所で、金山と呼ばれた銅山跡がある。
慎重な性格の人のことを「石部金吉」というが、ここの金山から出た言葉という。

 JRの線路の右側に、近江富士とよばれる三上山が見える。

 栗東町にはいると「生涯学習都市宣言のまち ここは伊勢落(いせおち)」と書いた
大きな看板が立っている。

 緑に囲まれた岩上神社。ひょうきんな小太りの「京尾太」の狛犬がいる。

 この辺りは栗東町で「東海道まちづくり」という町並み保存の運動をしていて、
べんがら塗りで白壁の家が多くある。
 軒下に「林村 人力車 人力屋」というように昔の職業と屋号を書いた木製の看板が
かけてある。

tokaido39-6.JPG  国宝の地蔵尊がある六地蔵堂
 地蔵盆の祭りに集まっていた地元の人の話では、
地蔵盆の今日だけは特別に地蔵堂は開帳されているとのこと。
お堂に上がり写真も撮らせてもらう。
庭の一角に小さな石像が数十も並べられていて、
双体道祖神もある。

tokaido39-7.JPG  その斜め向かえに、和中散本舗の六角家がある。
 大きな白壁で瓦屋根の中二階で元禄時代の建物という。
雨戸が立てられていて中は見えないが、庭園になっているようだ。
「ここに元和(1615-)の頃梅の木ありて、其木陰にて和中散を製し
旅人に賈ふ」とのこと。「徳川家康が腹痛をおこした時これを
飲んで快癒し、『和中散』の名をつけたと伝えている」。
かつては5軒の店があったが、現在営業しているのは本家の
ここだけであるという。

 「手原村 鋳物製造所 鍋岩」、「手原村 地黄煎屋 飴藤」の屋号が出ている。

 「老松ありて傘の如くなり笠松の宮という」と記された里中稲荷がある。

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 右に手原駅を見ながら左折。
 格子戸の家に「手原村 火打ち石屋 火口屋辰之助」
屋号が書かれており、火打ち石屋という商売があったこと
がわかる。

 古くなっているが白壁の家に
「手原村 田楽茶屋 すずめ茶屋」の案内板がある。

 池の土手の下に「鈎(まがり)の陣所ゆかりの地」という石碑がある。
ここは「応仁の乱後社会は乱れ、近江守護佐々木氏が社寺の領地を幕府に返還しないため、
九代将軍足利義尚が出陣し、この地に滞陣した。滞陣2年で病を得、当地で没した」という。

 広重の「石部 目川ノ里」を意識し、金勝川の堤防の上から撮影。
琵琶湖は見えないがうっすら比叡山が見える。

 シーボルトにゆかりのある善性寺を左に見て進む。

 田楽茶屋の元伊勢屋の説明板があるが、現在は普通の住宅で面影もない。 

 草津川の土手に上がると老牛馬養生所阯の説明板がある。「老廃牛馬の打はぎしている
残酷さに驚き、ここに老牛馬の余生を過させる養生所を設立した」という。

 この川も天井川で、国道1号が川の下を貫通している。

 土手から下を見下ろすと、草津の町がある。

 今日の歩きはここで終わるため、土手を降りて草津駅に向かう。

 お祭り気分の駅前商店街を通り、草津駅から京都までいき、新幹線で帰宅。 

 

Q.狛犬はどのような目的で設置されたのか。 

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