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第41日 大津〜京都      

              宿間の距離   11.7km       1999.10.10
              歩いた距離   22.8km   

 今日は、東海道終点の三条大橋までいくことにしている。

 ホテルの窓から大津港の様子をみると、風がないので波もなく晴天のようだ。

 朝食前に昨日の予定で、歩き残した部分を取り返すことにする。

 朝5時半頃に宿をでて、京阪電鉄の浜大津までいく。
浜大津の辺りは専用軌道でなく路面である。電車で膳所本町までもどる。

 駅前の店は戸が閉まっている。
「時雨煮 馬杉」の店には「びわ湖名産 時雨煮 鮒寿し うなぎ 川魚一式」の
のれんが出ている。

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 膳所城跡公園までいく。
復元された城門の奥一帯が公園となっている。

 日の出時で空が少しづつ明るくなり、琵琶湖の
水面が光り、網代の影、ゆっくり動く船が詩情を
そそる。
朝の散歩の人たちも湖面を見つめている。

 旧道にもどる。べんがら塗りの連子格子の家、ばったり床几、犬矢来。

 和田神社がある。本殿が軒唐破風をつけて鎌倉建築様式を残している。
石田三成が関ヶ原の合戦後捕らえられて京に送られる途中、繋がれたという
大銀杏がある。

tokaido41-2.JPG  石坐(いわい)神社
鳥居横の神社名の石柱に、石でつくった模造の時計が
ある。それは朝廷を大津宮(志賀宮)に遷した
天智天皇が漏刻(水時計)を造ったことと関係が
あるのか。
 本殿は平唐門と塀によって囲まれている。
その中に慶応元(?)年(1865)の大きな自然石の上で台座に
のった不安定な「京尾下がり」の狛犬いる。
その他に昭和14年(1939)の小太りの笑い顔の
「京尾太」の狛犬がいる。

 木曽義仲と芭蕉の墓がある義仲寺にいく。
ここに芭蕉の「旅に病んで 夢は枯れ野をかけめぐる」の辞世の句碑があると
いうことだが、時間が早すぎて門が閉じられていた。

 平野神社
明治16年(1883)の右アがひしゃげた玉を持っていて太った猫顔の
「京尾太」の狛犬。
尾が八つ手の葉のように広がった万延元年(1860)の「招魂社」の狛犬がいる。

tokaido41-4.JPG tokaido41-3.JPG  本殿の縁に「神殿」狛犬がいるので、
こっそりと中にはいり撮影。
右からウン・アで、置き方が逆かと思われる。
色がはげかけているが、ウンは角で青色が
残っており、アは金色である。

 県庁を左に見ながら進む。

 今日は大津祭りで、曳山が9時出発という。紋付き袴の人や法被の人が準備に
大わらわ。
町の商店が幔幕や提灯で飾ってあり、ショーケースの中も趣向を凝らして祭りの
飾りつけがしてある。

 大津事件の「露国皇太子遭難之地」の標石がひっそりと立っている。
この大津事件は、明治24年(1891)訪日中のロシア皇太子が日本の警察官に
襲われ負傷した事件である。犯人の刑罰について、ロシアをおそれる政府の
「ロシアに誠意を示して処刑すべし」という意見と大審院の児島惟謙の
「法に照らして正当に裁くべし」の意見が対立したが、結局司法の独立の原則が
貫かれた。

 朝食時間の関係で、急いで旅館に帰る。

 今日は三条大橋をめざすのだが、食後まず大津祭りをみるために天孫神社へ
向かう。

 曳山の通る町屋の二階には桟敷窓が曳山の上段と繋がるようにしつらえて
あり、お祭りの当日であるので張りだしている。また手すり欄干には毛氈が
懸けられて、もたれて見ることができるようになっている。

 天孫神社に着くと、すでに人でいっぱい。

 舞殿の前に正面鳥居の方を向いて神主と氏子総代なのか裃を着た人が
座っており、次々に繰りだす曳山が神社の正面にくると曳山の一人が書状の
ような物を持ってきて、渡す。その間からくり人形が横笛、笙、太鼓に
合わせて芸をしてみせる。それから町の中を練り歩くという。
その時十本ぐらいの束にした「ちまき」を撒き、家々の二階の桟敷席にも
投げ込んでいく。その無病息災の「ちまき」の束は家の玄関に飾るものらしい。

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 東海道にもどり、札の辻で南へ曲がる。
 JR東海道線と京阪電鉄が立体交差するレンガ作りのトンネルを右に見て進む。

 若宮八幡宮。明治26年(1893)の小太りの笑い顔の「京尾太」の狛犬がいる。
石工は石捨である。本殿の中には茶色で白いたてがみの「陶器」の狛犬がいる。

 国道1号と合流する。この辺りが逢坂(おうさか)。
この名は「神功皇后の将軍竹内宿弥がこの地で忍熊王と会ったことに由来する。
平安時代には京都と近江を結ぶ交通の要所であり関所が設けられていた」所である。
「これやこのゆくもかえるもわかれては 知るも知らぬも逢坂の関」の蝉丸の歌が
有名である。

 蝉丸神社上社。急な階段の途中に太った昭和8年(1933)の「京尾立」の狛犬。

 車石の説明がある。
急坂であるので牛車の歩行を助けるために溝を掘った石を敷いたものである。
蹴上では車石が現在石垣として使われている所がある。

 下り坂になる。

tokaido41-8.JPG  精進料理で有名な走井(はしりい)の月心寺がある。
玄関の前に石の井戸があるので、こっそり入って撮影する。

 国道1号から旧道が分かれる追分にいく。

 閑栖寺の前に東海道の道標がある。

 名神高速道や国道1号などが複雑に交差する所を過ぎて、京都にはいる。

 道に迷って、音羽病院の辺りまできてしまう。

 ガストで昼食。

 京阪電鉄の四ノ宮駅前で、ようやく旧道にもどる。

 ここでもお祭りで子ども神輿。しかし集まっているのは、ほとんどが大人である。

 山科が大石内蔵助の閑居の地であることにちなみ、赤穂浪士の義士餅を売る
「三品老舗」という漆喰壁の店がある。

tokaido41-9.JPG  渋谷(しるたに)越えの道標、「右ハ三条道、左ハ五条橋道」。

 県道143号にぶつかり、JRをくぐる。
右に天智天皇陵の公園を見て、小さく古い理髪店の横の狭い道が旧道。
この辺りが御陵(みささぎ)である。ここでも子ども神輿。

 日ノ岡の住宅地の狭い急な坂道を上る。

 木喰寺梅香庵跡に、岩をうがった穴の中で石の亀が水をはいている。
旅人ののどを潤した亀の水であるが、灯明が点っており不気味。

 酔芙蓉で有名な大乗寺。丸まった石の階段の脇にほんのり紅の芙蓉が
咲いている。

 県道とふたたび合流する。

 九条山駅の辺りで、道の先に京都の町が見えてくる。

 日向大神宮の木の鳥居を右に見ながら坂を下る。

tokaido41-10.JPG tokaido41-11.JPG  まもなく蹴上で、琵琶湖の水運であった
インクラインを支えているレンガを
積み上げた構造物がある。
そこに上ると幅が3メートルもある線路が
残っていて、木の船を乗せたトロッコ
置いてある。

 明治23年(1890)に完成した琵琶湖疎水は琵琶湖の水を淀川に結ぶもので、
舟運のほか灌漑や発電等の多くの目的を持っていた。
 そのうち、インクライン(傾斜鉄道)は、疎水の水で発電される電気を利用し、
この坂を舟を乗せて上下させる目的で建設された。
これで北陸や近江と京都、大阪が結ばれ、人や物資の往来が盛んになった
という。

tokaido41-12.JPG  トンネルを潜ればすぐに南禅寺で、
その手前に赤いレンガでアーチ構造の水路閣がある。
水路閣に上ると幅が3メートル程の水路があり、
水が勢いよく流れている。

 蹴上発電所の大きなレンガの建物がある。

 住宅地の狭い旧道にはいって進む。

 神宮道を右に曲がり疎水から導いた堀を渡り、京都市美術館と
国立近代美術館を左右に見て、平安神宮にいく。蒼竜と白虎の吐水を見る。

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 予定通り4時前に目標の三条大橋に着く。

 勤王の志士高山彦九郎の座像の前で、義母と次女、
三女の3人に迎えられて東海道五十三次のゴールイン
することになっていたのだが、誰もいない。

 連休の中日で観光客で込み合い、
雇った観光タクシーが思い通りに動けないのかも
しれない。10分ほどたって到着。
こちらが逆に迎えるようになってしまった。

 三条大橋の西側の膝栗毛の弥次喜多の像の前で、
全員で記念撮影。

 近くの六角通りにある今日の宿である「鴻臚(こうろ)館」に着く。
鴻臚とは古代の外国使節の迎賓館であるが、外観は現代風である。

 風呂に入り、ビールを飲んで一休み。
足は痛いが「ついにやった」という感じ。

 ひとり後れてきた長女に合わせて、夕食。料理はよい。

 

(翌日)

 司馬江漢の五十三次の絵が、京都御所の建礼門から始まっているので、
翌日朝食前に見物した御所の散歩をつけくわえる。

夜明け前の5時過ぎに宿をでて、京都御所にいく。

tokaido41-14.JPG  御池通りの御所八幡
 ここは足利尊氏に関係があり、安産と幼児の
守り神として「むし八幡」とも呼ばれている。
がっしりとした昭和25年(1950)の「鈴しょうわ」
狛犬
がいる。

 御所西の烏丸通りを北へ。
べんがら塗りの連子格子で二階は漆喰の展示集会所の「嶋臺」。
のれんがかわいいそばやの尾張屋伝左衛門。
店の周りがほのかな香りのする香木の松栄堂。
それぞれの店構えやショーケースに伝統が映える。

 人通りがまったくなく、気分爽快。

 御所を中心にした公園が京都御苑である。

 宗像神社。本殿囲いの塀の前に「鈴しょうわ」の狛犬。

 白雲神社。明治12年(1879)の小型の「京尾太」の狛犬。
ア・ウンの狛犬とも天に向かって吠えているような構図。

 蛤御門。御所の外壁の西に向いた小さな門である。
元治元年(1864)の「禁門の変」の鉄砲の弾あとが門の梁に残っている。

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 建礼門の前までくると空が全体に明るくなり、
東の大文字山の稜線がくっきりとしてくる。
檜皮葺きに少しの乱れもなく、黒い瓦と黄土色の
塀との調和が落ちついている。

 ここが司馬江漢の京の絵の場所であり、
人がいないので一層おごそかな気分になる。

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