もどるfoot_linehidari.gif    iconhoum1.gif icon2133.gif   foot_line.gifすすむ

第33日  鳴海〜宮〜桑名

                                           宿間の距離  6.5+(27.3)km   1999.04.30
                          歩いた距離         9.8km       

 初めて、2泊の散歩を実施する。

 ゴールデンウィークで込みあうだろうと考え、名古屋まで新幹線の指定席でいき、
鳴海まで名鉄でもどり、歩き始める。

 宿の街道は適度のカーブをもち、菓子司、酒屋、時計屋など古い家並みである。

 右の小さな天神社が鳴海城跡である。この城は「根古屋城ともいい、応永年中(1394-)に
安原宗範が築城した。永禄3年(1560)桶狭間の戦いでは、今川方の猛将岡部元信がこの城に
配され、義元が討たれた後も最後まで立てこもって、奮戦した」という。

 境内に芭蕉の「京まではまだ半空(なかそら)や 雪の雲」の句碑がある。

 道をはさんで庚申山圓道寺がある。
 山門の梁にかけてある木額は三猿の大きなもので珍しいが、残念ながら新しい。

tokaido33-1.JPG tokaido33-2.JPG  隣が来迎山誓願寺
 ここに芭蕉堂があり、その脇に「芭蕉翁」とだけ
書かれている最古の供養碑が立てられている。
これは元禄7年(1694)10月に芭蕉が亡くなったが、
その翌月に立てられたものといわれる。

 旧道にもどると、鳴海宿本陣跡の碑が駐輪場にある。

 宿はずれに、鉾ノ木(ほこのき)貝塚がある。説明板がなければ気づかない状態である。

 その先に小高い千鳥塚。
「星崎の闇を見よとや 鳴く千鳥」という芭蕉の句が彫られた句碑がある。
公園になっていて見晴らしがいい。

tokaido33-3.JPG

 環状道路や天白川を越えていくと、笠寺一里塚がある。
さらにいくと笠寺観音(天林山笠覆寺)。
「尾張四観音の一つ。天平年中(729-)禅光上人の開基で、十一面観世音
を安置する。後に延長年中(923-)藤原兼平が堂宇を再興した」。
戦災もまぬがれたということで、仁王門の仁王様も古色蒼然としており、
大きな草鞋が懸けてあるのは旅の安全を祈ったものか。

 平日とはいえ、近所の老人が数人日向ぼっこしているだけで、
寂しい感じ。

 道をへだてて玉照姫を祭る泉増院がある。
「姫が雨露にさらされていた十一面観音に笠をかぶせたことが縁で、
藤原兼平の北の方となられたことから、笠寺を再興した」といわれている。

 名鉄を越えて右に曲がり、桜駅の左にある富部(とべ)神社。樹木に囲まれてよい雰囲気である。

tokaido33-4.JPG tokaido33-5.JPG

 「本殿は慶長(1596-)当時の形態を今に
伝え、特に正面の蟇股、屋根の懸魚、
桁隠などによく桃山様式を残しており、
国の重要文化財である」が、工事中で中は
見られなかった。

 大きいだけの典型的な昭和3年(1928)の
「しょうわ」狛犬がいる。

 少し左にはいると、白毫寺(びゃくごうじ)。

tokaido33-6.JPG

 年魚市潟(あゆちがた)勝景」の碑で有名である。
「年魚市は愛知の県名の語源といわれ、年魚市潟は熱田から鳴海に
かけての海辺が湾入した遠浅の地形を指したものらしい。
万葉の歌に
『あゆちがた しほひにけらし知多の浦に 朝こぐ舟もおきによる見ゆ』や
『桜田へ田鶴鳴き渡るあゆちがた 汐干にけらし たづ鳴き渡る』とあり、
歌枕として有名な地である」。
今は丘の下は住宅地になっており、見晴らしは全くない。

 寺院であるのに拝殿の前に「はじめしょうわ」の狛犬がいる。

 もどって右に、熊野三社。ライオンのたてがみのような「はじめしょうわ」の狛犬。

 山崎川、新堀川を越えると、伝馬町の商店街。
 裁断橋の碑がある。「裁断橋は、秀吉の小田原攻めに参加して陣中で病死した堀尾金助の
母が供養のため発願したものである」。
 それに並んで都々逸発祥之地の碑がある。
「宿場の東の鶏飯屋の女中お仲らの始めた神戸節(ごうどぶし)を都々逸起源とする」。

 「手打ちの丸山」で、味噌煮こみうどんで昼食。

 宮の渡しに向かう。途中に道標があり、「東江戸かいどう 北なごやきそみち」。

tokaido33-7.JPG  宮の渡し公園がある。桑名までを7里の渡しという。
石の桟橋が海に突き出ている。
 尾張藩二代藩主光友が延宝4年(1676)に「時の鐘」として建立した
木造で背の高い鐘楼がある。
 また寛永2年(1625)に犬山城主成瀬正房が立てたという、
背の高い石で組まれた常夜灯がある。
海と空の青に全体がよく調和している。

 熱田魚市場跡には「天正年間(1573-)には既に魚問屋があり、織田信長の居城清須に
日々魚介類を運んだ」という。

 海岸道路に沿って、古い脇本陣や商家が残っている。
 また小さな秋葉神社が3カ所も並ぶように建っており、
それぞれの神社に「しょうわ」狛犬がいる。火災防止の祈願のためか。

 熱田神宮にいく。 熱田神宮は三種の神器の一つ草薙の剣を祭る神社である。

tokaido33-8.JPG

 緑の中の長い玉砂利の参道をいく。
 大きな拝殿は塀で囲ってあり、そこからは中にはいれない。

 参道の途中に名古屋甚句の碑があったが、全然知らない歌であった。
 大きな佐久間灯籠がある。
 瓦を横に積み上げて漆喰で固めてある塀があったが、
これは桶狭間での勝利のお礼に寄進した「信長塀」である。

 名古屋駅にでて、近鉄で桑名までいく。
 宮から桑名までの東海道は7里の船渡しなので、こちらも電車を使う。

 夕方、駅の近くの桑名シティホテルに着く。

 船着き場の近くの「歌行灯」といううどん屋を探し、蛤づくしの夕食。

もどるfoot_linehidari.gif    iconhoum1.gif icon2133.gif   foot_line.gifすすむ

item098.gif

 地図へ  :  狛犬カタログへ : 狛犬一口メモ : 東海道一口メモ : 注と参考資料