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第34日  桑名〜四日市 

                                         宿間の距離   12.6km   1999.05.01
                    歩いた距離   24.2km       

 昨夜は夕食のため船着き場の近くまでいったが、暗くてよく見えなかった。

 朝食前にその辺りまで散歩することにした。

 商工会議所の前に「鋳造報国」と書かれた碑がある。
桑名が鋳物の町であることを初めて知った。

 本統寺という古刹にいく。ここは伊勢、尾張、美濃の一向宗教化の中心である。

 お詣りしていると、「有名な牡丹がありますよ」と参拝のおばさんに教えられた。
盛りは過ぎているが紫の花が咲いていた。芭蕉の「冬牡丹 千鳥よ雪のほととぎす」
という句碑がある。

 海蔵寺へいく。
薩摩藩が幕府の命により、宝暦(1751-)に木曽、揖斐、長良三河川の治水工事を行い、
多くの犠牲者を出し多額の経費がかさんだ責任をとって割腹した、
工事奉行の平田靭負等の墓がある。

 通りには貝藤、貝繁という時雨蛤の店があるが、朝早いので戸は閉まっている。

tokaido34-1.JPG

 桑名神社にいく。中臣神社と合祀されている。

 この神社の狛犬は尾が5枚に分かれた「京うちわ
である。
鬼顔で、ウンに一角がある天保3年(1832)のもの。

 この神社には寛文7年(1667)の青銅の大鳥居があり、
「勢州桑名に過ぎたるものは銅の鳥居に二朱女郎」と
いわれたものである。

tokaido34-2.JPG  その前に迷子の情報を交換する「しるべ石」がある。
「片面の『たづぬるかた』に迷子などを捜す人が、
『おしへるかた』に心当たりのある人が答えを書いて紙を貼ると
いうもの」である。
 この「しるべ石」は東京の日本橋川にかかる一石橋の南詰めにも
あることを後に知った。

 昨夜食事をした格子窓の「歌行灯」の前を通る。

 店の前の旧道の石畳に「井」と書かれた石がある。
「桑名の井戸は塩水が出るので町屋川から水を引いて地下に水道を造り一般の人にも
配水した」という。これが「通り井」の跡である。

tokaido34-3.JPG  ようやく「七里の渡し」の場所に着く。
海にせりだした小公園になっている。
大きな木の鳥居があり、
これが伊勢神宮の「一の鳥居」である。

 船津屋という大きな旅館があり、ここが泉鏡花の「歌行灯」に出てくる「湊屋」である。
大塚本陣跡でもある。
久保田万太郎の「かはをそに火をぬすまれて あけやすき」の句碑がある。

 その北の住吉神社を探すが、現在工事中で他に移っている。

 桑名城の跡は九華公園で、海と運河に囲まれた緑地である。

 その中に鎮国守国神社がある。
 たてがみに特徴があり、尾は全体に団扇のように立っているが毛の先がカールして
下がっている「京尾下がり」の狛犬がいる。

 堀に沿って小公園があり、ミニチュアの東海道五十三次になっている。
最後は本当に人の通れる三条大橋である。

 宿に帰り朝食をして、四日市に向けて出発する。

 細い旧道にでる。

 新しい大きな屋敷の前に「廣瀬鋳物工場跡」の碑がある。
そのまわりに数軒の工場があり、「鋳造立国」の碑があったことを思い出す。

 天武天皇社。壬申の乱で天武天皇と皇后が吉野に潜幸した時、宿泊された所という。
たてがみが広がり猫顔の大正10年(1921)の「京尾下がり」狛犬。

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 鍛冶屋の守り神である小さな一目連神社がある。

 近くに梵鐘の店があり、
道に1メートルはある梵鐘が2基置いてある。

 城南神社。
「伊勢の神宮とは御縁故殊の外深く、古来より神宮式年御遷宮ごとに一の鳥居、
古殿舎の一部を拝戴御改築の慣例になっております」とのことである。

 数本束ねられた「ちまき」が、玄関にぶら下げてある。

tokaido34-5.JPG 員弁(いなべ)川の手前に、
伊勢神宮への祈願をも兼ねた大きな文政元年(1818)の
常夜灯がある。

 町屋橋を渡り、朝日町にはいる。
 ここは日本書紀で朝明(あさけ)駅といわれた所で、東海道筋として栄え、焼き蛤が
有名である。焼き蛤は桑名の名産だと思っていたが京からの人が、
本場の富田や小向(おぶけ)で十分食べてきたから「その手はくわなの焼き蛤」という
ようになったとか。

 近鉄の伊勢朝日駅の踏切を越えて進む。

 関西線を渡って、御厨小向神社がある。明治40年(1907)の「京尾下がり」の狛犬。
ウンの狛犬は子が親の前足を持ち上げている。
他に大きな昭和14年(1939)の「鈴しょうわ」がいる。

 水田の中を進み朝明川を渡り、四日市にはいる。

 富田の一里塚跡。

 住宅地の中に地蔵堂がある。その隣りに小さな祠があり、
「陶器」製のずんぐりした小型の狛犬がいる。
ウンに角があり、尾は7つに分れた団扇である。

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 富田小学校の辺りで道に迷い、偶然に島出神社にでる。
木製の鳥居で、広い境内。
大型の昭和58年(1983)の「新しょうわ」狛犬。

 境内の分社の銅製の鳥居の前に、カエルのような顔立ちで、
アが玉を口の中に入れていてアンバランスな感じがする
明治40年(1907)の「京尾立」狛犬

 道を急いで、東海道にもどる。

 多度神社にいく。「唐草しょうわ」の狛犬がいる。

 海蔵川を海蔵橋で渡ると商店街。四日市名物大入道せんべいの看板。
日永の「なが餅」で有名な笹井屋があり、みやげに購入。

tokaido34-7.JPG  「すぐ江戸道」「すぐ京いせ道」と書かれた
文化7年(1810)の大きな道標がある。
文字の下に手の指で方向を示しているのが珍しい。

 諏訪神社。蔀戸が上がっており、火が入った提灯が拝殿の中に多数ぶら下がっている。
 参道をさえぎるように1メートルほどの高さの石垣があり、
その上に数個の石灯籠と一緒に大型の狛犬が置かれている。
安政3年(1856)の彫りが荒く、強そうなカエル顔の「京うちわ」の狛犬。

 公園横のザプラトンホテルに着く。

 一服して、夕食のため近鉄四日市駅の辺りをうろつくが、古い通りはコワイお兄さんが
たくさんいるようなので、あきらめてホテルに帰ってレストランで夕食。

 

東海道一口メモ:道標

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