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第32日 知立〜鳴海

                  宿間の距離    11.1km     1999.04.04
                  歩いた距離    15.7km          

 ホテルで朝食を終え、早めに歩き始める。

 格子の門構えの割烹岐阜屋。青銅の看板が立派な酒屋。

 知立古城址。石垣が残り古い松がある公園になっている。
知立城は永見氏の居館であったが、永禄3年(1560)の桶狭間の戦いで落城した。

 突き当たりが了運寺。瓦葺きの鐘楼門がある。

 知立名物の大あん巻きを小松屋本店で買い、食べながら歩く。
店の前に池鯉鮒大明神と彫られた屋根のある常夜灯がある。

 国道155号バイパスをガードでくぐって渡る。

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 日本武尊にゆかりの知立神社
蝮よけの神として全国にきこえた神社である。

 広い境内で、池にかかった太鼓橋。
社殿は大きな檜皮葺き屋根蛙股もきれい。

 境内に多宝塔がある。
「天台宗僧円仁が嘉祥3年(850)に神宮寺を創立し多宝塔を建立した。
現在の多宝塔は永正6年(1509)に再建された室町時代の建築物」である。

tokaido32-2.JPG  どっしりした明治39年(1906)の「京尾立」狛犬がいる。
耳は寝ているが目は大きく、風格がある。
唐草模様が陽刻され、ウンには雄の印があり、角がある。
このところ平凡な狛犬ばかり見ていたので、うれしくなる。

 祠は小さいが全体が公園で、かきつばたの池がある別社土御前社で一休み。桜がきれい。
境内に元禄5年(1692)の芭蕉の「不断立つ 池鯉鮒の宿の木綿市」の句碑がある。
 昨日引馬野に一茶の「はつ雪や ちりふの市の銭叺」の句碑があったが、
江戸期を代表する二人の俳人が池鯉鮒の木綿市の繁昌を詠んでいるのが面白い。

 逢妻橋で逢妻川を渡る。

 刈谷市にはいる。

 工場地帯で排気ガスがひどく、ほこりっぽい。道端にお堂の中に三面の馬頭観世音。

 国道沿いの旧道をいくと、黒い連子格子の中二階の家が続く古い街道である。
「いも川と云うめんるい有り。道中一也」といわれる「ひもかわうどん」の名所。

 境川を境橋で渡る。
三河と尾張の境をなす川であるが、水が汚く、辺りの工場で土砂を扱っているので空気が悪い。
この橋は「慶長6年(1601)に東海道に伝馬制度が設けられ、ほどなく尾張と三河の立ち会いで
橋が架けられた。中程より西は板橋、東は土橋であり、たびたび洪水で流され、
やがて継ぎ橋はひと続きの土橋となった」という。

 豊明市にはいる。

 阿野一里塚があり、桜が満開。

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 中京競馬場駅で名鉄のガードをくぐると、
永禄3年(1560)に織田信長が今川義元を破った桶狭間古戦場がある。

 病院や学校、住宅が迫っているが桜や手入れされた樹木があり、
小さなきれいな公園になっている。
私の子供の頃の記憶では雑木に被われた谷戸であったように思うのだが。

tokaido32-4.JPG  道を隔てて高徳院
今川義元の本陣跡の碑と墓がある。
芭蕉の「あかあかと日はつれなくも 秋の風」の句碑馬頭観音がある。

 名古屋にはいる。

 大将ヶ根で右にはいり、旧道をいく。旧道沿いにある有松の親戚の荒木家を訪ねる。
以前は酒、味噌溜を商っていたが現在は喫茶店にしている。
何年かぶりに従兄夫婦と娘さんに会い、30分ほど話をして失礼する。

 絞り染めが有松の名を高めている。
 絞会館を見物。おばあさんが絞り染め作業の実演をして、外国人も熱心に見物していた。

 近くの山車会館にいく。
有松町内に3台の山車があり、お祭りの終わった後、順に一台づつ一年交代で会館に展示
されるとのこと。昔のおぼろげな記憶通り少女の人形が毛筆で字を書く「からくり」であった。
 またお祭りの時鬼に追いかけられた恐ろしい記憶も、
赤い天狗の面が展示してあったことにより、その通りであることが分かった。

 子供の時の記憶よりも道が狭い。

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 有松は町並み保存に力を入れ、古い商店と白壁の蔵のある浮世絵に描かれた街道風景を
残そうとしている。街道の家並みは塗り壁で格子造りの、中二階建てが多い。

 服部家や竹田家の住宅の前に説明板がある。
「有松における絞り問屋として代表的な建物である。母屋は塗籠め造り卯建を設け、
蔵は土蔵造りで壁に海鼠壁を用い防火対策を行っている」。

 有松駅前は、新しい商店が建ち様変わり。

 名鉄の線路を越えた小高いところに有松天満社がある。

 寛政10年(1798)に当地に奉遷され、以来絞り産業の町有松の産土神である。
「秋祭りに引き出される山車三台は、延宝4年(1676)制作の布袋車、
天保年間(1830-)の唐子車、明治6年(1873)の神功皇后車で、
相共に屋台にからくり人形を乗せて、精巧優美な伝統芸術の粋を誇る」。

 階段の脇に中型の3対の「しょうわ」狛犬。塀で囲まれている本殿前にも2対の狛犬。
そのうち1対はたたきに直接置かれている赤茶色の「陶器」製で、ウンには角がある。
近寄れないのが残念。

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 境内には皇紀二千六百年記念の灯籠があるが、
うそ鳥をモデファイしたもので赤と緑と白で派手に塗られている。

 旧道にもどり祇園寺。境内は工事中ではいれない。 

 先に進むと鳴海である。

 瑞泉寺がある。応永11年(1404)、根古屋の城主安原宗範が創建したもので、
山門に鯱鉾があり立派な堂宇が石垣の上にあり、お城のように大きい。

 浅間社という小さな神社があるが、浅間社は富士山の信仰に基づいて建立されたもので、
室町時代には既に今の場所にあったと伝えられている。
 狛犬は昭和3年(1928)の「はじめしょうわ」で、御即位記念である。
社殿の欄間に、十人以上の大人が大きな獅子舞をしていて、
周りで喜んで見ている子供たちを描いた上手とはいえない板絵がかかっている。

 境内を横切るとすぐ名鉄鳴海駅である。

 乗車して、名古屋へいき、新幹線で帰宅。

 

東海道一口メモ:町並み保存

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