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第30日 藤川〜岡崎             
                             (矢作橋)       
                                 宿間の距離     6.6km    1999.01.31
                   歩いた距離     12.0km                    

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 朝食前に岡崎城の辺りを散歩する。

 岡崎城は徳川家康が生まれた所で、
浜松城に元亀元年(1570)に移るまで根拠にしていた城である。

 乙川河畔の「五万石でも岡崎様は 城の下まで船が着く」と
いわれた船着き場にいく。石で作られた帆かけ船が展示してある。

 今日は快晴で、お城の白壁が一層映える。

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 城内の龍城神社にいく。
リュウキと読んでいると、境内を掃除している人がタツキというのだと
教えてくれた。

 首太ドングリ目でこっけい顔の「京耳タレ」狛犬
大正2年(1913)に旧岡崎藩士一同が奉納したもの。

 義経との恋に破れて、乙川に身投げした浄瑠璃姫の墓がある。

 乙川沿いの松平一族の崇敬篤い菅生(すごう)神社。
境内に、武田信玄に内通したかどで織田信長に自刃させられた家康の長男信康の首塚が
ある。

 明治36年(1903)の唐草ではなく渦巻き模様の角があるこっけい顔の「京耳タレ」狛犬。
清潔な拝殿の中に四十六歌仙の板絵が掛かっていた。

 朝食をとって、昨日歩いた藤川までもどり散歩を続けることにする。

 その前に東岡崎駅近くの六所神社へいく。
朱塗りの大変立派な楼門や本殿は江戸期を代表する建物であるという。
狛犬は大正2年(1913)の小型の「京尾立」。

 藤川駅まで電車でいく。

 すぐに一里山閻魔堂がある。
「宝永7年(1710)頃の建立で、街道の安全や旅人たちの心を戒めるために祭られたもの」と
いう。

 閻魔堂の右側に「爰(ここ)も三河 むらさき麥のかきつばた」の芭蕉句碑がある。

 踏切の前後は松並木で、「吉良道」という道標が立っている分岐点がある。

 馬頭観音堂があり、松並木が終わる所で国道1号に合流。

 また旧道にはいり、田んぼの中の細い道をいくと乙川の支流である竜泉寺川があり、
高橋の手前に岡崎源氏蛍(生田蛍)発生地がある。
 そこに芭蕉の「草の葉を落つるより飛ぶ ほたるかな」の句碑がある。

 乙川の太平橋の橋詰めに大岡越前守が築いた掻寄堰堤があったという。

 東海道から南設楽郡作手に至る「つくで道」の道標がある。
 右にはいると大岡越前守の陣屋跡があるが工事中。

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 大平一里塚がある。

 馬頭観音堂がある。

 右に大平八幡宮。拝殿が簡素で床が磨き込まれていた。

 大正5年(1916)の酒井孫兵衛の「はじめしょうわ」狛犬には
太い注連縄がかけてある。注連縄が化学繊維であるのが残念。

 「岡崎城下二十七曲がり」の説明碑がある。
もともと城を防衛するねらいで道に曲折をつけたものである。

 「ひちや」と名古屋弁で書いてある看板がある。
質屋(しちや)でなく仮名で書いてあるところが味噌。名古屋に近づいたのを実感する。

 琴平社本殿の前に大口を開けた大正5年(1916)の「はじめしょうわ」狛犬。
境内の藤は「こんぴら藤」と称し、花房が長いことで名声を得ているという。

 市役所を横目で見て伝馬通りをいくと、古い菓子屋の備前屋がある。

 「熊本屋」といううどん屋で昼食。

 赤煉瓦の旧商工会議所を過ぎ、籠田公園の前を通り、二十七曲がりの案内板に従って
道をいく。岡崎城の裏を通る。朝散歩した辺りである。

 伊賀川を渡り土手道を南にいくと、きれいな提灯がつり下がっている地蔵堂があった。

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 右土手下の新田白山神社にいく。
この神社は「永禄9年(1566)家康が在城の折、厄除け、開運、祈とう
のため上州新田から勧請した」ものである。

 昭和11年(1936)の「鈴しょうわ」の大きな狛犬がいる。
 社殿前に鬼顔で大口の昭和5年(1930)の「京くずし」狛犬。

 境内の一角に、夏の厄除けとして
「あしの輪と自然石の鳥居くぐりの神事」が行われる設備があった。

 愛知環状鉄道を、中岡崎駅の跨線橋で越える。

 「まるや八丁味噌」の工場の前を通って、諏訪神社へ。

 古い大きな社殿で、大正10年(1921)の典型的な「唐草しょうわ」の狛犬。

 長屋造りの職人町の様な八帖町の小路を通り、矢作橋で矢作川を渡る。

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 橋のたもとに、日吉丸と蜂須賀小六の矢作川での「出会之像」
あった。

 昔の橋は100mほど下流にあったということで、
岡崎城の位置を参考にして橋の位置を推定し、
そこで広重の「岡崎 矢矧之橋」の絵の場所で写真を撮る。

 国道1号より一本奥の旧道をいくと弥五騰神社がある。その横に大きな髭題目の碑がある。
これは文政元年(1818)の洪水の死者を慰霊するもの。

 名鉄の矢作橋で乗車し名古屋にでて、名鉄デパートで名物の名古屋コーチンのかしわと
しぐれ佃煮を買って、新幹線で帰宅。

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