義経との恋に破れて、乙川に身投げした浄瑠璃姫の墓がある。
乙川沿いの松平一族の崇敬篤い菅生(すごう)神社。
境内に、武田信玄に内通したかどで織田信長に自刃させられた家康の長男信康の首塚が
ある。
明治36年(1903)の唐草ではなく渦巻き模様の角があるこっけい顔の「京耳タレ」狛犬。
清潔な拝殿の中に四十六歌仙の板絵が掛かっていた。
朝食をとって、昨日歩いた藤川までもどり散歩を続けることにする。
その前に東岡崎駅近くの六所神社へいく。
朱塗りの大変立派な楼門や本殿は江戸期を代表する建物であるという。
狛犬は大正2年(1913)の小型の「京尾立」。
藤川駅まで電車でいく。
すぐに一里山閻魔堂がある。
「宝永7年(1710)頃の建立で、街道の安全や旅人たちの心を戒めるために祭られたもの」と
いう。
閻魔堂の右側に「爰(ここ)も三河 むらさき麥のかきつばた」の芭蕉句碑がある。
踏切の前後は松並木で、「吉良道」という道標が立っている分岐点がある。
馬頭観音堂があり、松並木が終わる所で国道1号に合流。
また旧道にはいり、田んぼの中の細い道をいくと乙川の支流である竜泉寺川があり、
高橋の手前に岡崎源氏蛍(生田蛍)発生地がある。
そこに芭蕉の「草の葉を落つるより飛ぶ ほたるかな」の句碑がある。
乙川の太平橋の橋詰めに大岡越前守が築いた掻寄堰堤があったという。
東海道から南設楽郡作手に至る「つくで道」の道標がある。
右にはいると大岡越前守の陣屋跡があるが工事中。 |