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第31日 岡崎〜知立      
                      (矢作橋)                  
                                       宿間の距離    14.9km      1999.04.03
                          歩いた距離    19.6km

 新幹線で豊橋までいき、名鉄に乗り車窓から見ると、岡崎公園の桜は満開である。

 矢作橋駅で下車し、国道1号を越えて旧道にはいる。

tokaido31-1.JPG  すぐに誓願寺浄瑠璃姫の墓がある。
前回、岡崎公園の中でも古い浄瑠璃姫の墓を見た。

tokaido31-2.JPG 誓願寺十王堂がある。
「十王とは十王経に説く冥府で死者を裁く王である」。
「各王の庁を過ぎて娑婆で犯した罪の裁きを受け、
これによって来世の生所が定まるという」。
掃除をしていたおばさんから「十王堂は宿の入口にあり、
悪霊に対するものである」との話を聞いた。

 竊樹(せつじゅ)神社。大きな杉林の中にある神社である。
大正15年(1926)の「はじめしょうわ」狛犬は、玉と子狛を押さえた前足の形が不自然である。

 黒塗りで格子のある家。「製麩工業所」の看板がある古い家。

 暮戸神社。鳥居にかかった注連縄が垂れ下がっているのがおかしい。
尻尾が大きい昭和8年(1933)の「唐草しょうわ」狛犬。

 宇頭町で旧道にはいる。

tokaido31-3.JPG  右に熊野神社がある。参道は満開の桜。
胸に毛が流れて、耳が大きな大正13年(1924)の
「はじめしょうわ」狛犬がいる。
 ここに鎌倉街道の説明板がある。
「建久3年(1192)鎌倉に幕府が開かれると、京都と鎌倉の間に
鎌倉街道が定められ、宿駅63ヵ所が設置された。
街道はここで右に曲がり南東に下っていくので、
この神社の森を踏分の森と呼んでいた」。
 境内の一角に予科練の碑がある。
かつてここに第一岡崎海軍航空隊があったとのこと。

 右手に永安寺。雲龍の松という樹齢300年の地を這うように枝が広がった松がある。

 明治用水が暗渠で道路となっている三叉路の所に、用水の大きな記念碑が立っている。

 その角に明治川神社。「碧海台地は長年用水の缺乏をかこち農村の疲弊に泣いていたが、
明治13年(1880)に用水路が開通して一大飛躍を見るに至ったので、由緒の深い神を勧請し
奉り明治川神社とした」。大きいがなんの変哲もない「しょうわ」狛犬がいる。

 邨社日吉神社がある。拝殿が古くなって傾いているので鉄のつっかい棒がしてある。
尾が立派な大正14年(1925)の「はじめしょうわ」狛犬がいる。

 道にでると明治用水の説明があり、矢作川から取水し一帯を潤していることが分かる。

 濱碇という当地出身の相撲力士の石像がある。
横に小さな祠があり、小さな「構え」の「陶器」の狛犬がいる。

 猿渡川橋を渡り、知立にはいる。

 右に御鍬神社。鳥居が木製で、なぜか縦の柱の中程に注連縄が掛かっている。
檜皮葺きの本殿があり、拝殿との間の廊下がガラス張りである。

 来迎寺前という三叉路に、「従是四丁半北八橋業平作観音有」と彫られた元禄9年(1696)の
道標がある。

 伊勢物語で「そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つわたせるに
よりてなむ」ということで、ここで業平が杜若(かきつばた)の五文字を読み込んで
「から衣着つつなれにし 妻しあれば はるばるきぬる旅をしぞ思ふ」と歌っている。

 在原業平ゆかりの日吉神社には大正10年の「唐草尾下がりしょうわ」の狛犬がいる。
ウンの狛犬は、子狛が親の前足を手で持ち上げている珍しい格好である。

tokaido31-4.JPG  日吉神社の神宮寺である無量寿寺の境内には、
芭蕉の「かきつばた 我に発句のおもひ有り」の古い句碑がある。
寺の裏にはかきつばたが植わった回遊式の庭園があるが、
まだ花は咲いていなかった。

 近くの在原寺にいく。
その先に「根上り松」があり、根が名のように1メートルも上がっている。

 線路を越えると、法篋印塔のある業平塚。
そこに山頭火の「枯れ草に かすかな風のある旅で」の句碑がある。

 来迎寺町にもどり、一里塚、牛田八幡社にいく。

 明治用水とその橋もコンクリートで埋められてしまった所に、
天保12年(1841)の道標が立っている。

tokaido31-5.JPG  その先の引馬野に松並木がある。
その中に一茶の「はつ雪や ちりふの市の銭叺(かます)」の
句碑がある。
説明によれば、文化10年(1813)一茶51歳の時、
池鯉鮒の木綿市の繁昌を詠んだものである。

 広重の「池鯉鮒 首夏馬市」の絵の場所に、木製で複製の絵が描かれてある。

 そこは現在は御林といい、国道1号と旧道が交差している。

 ここに俳人麦人の句「杜若 名に八ツ橋のなつかしく」
「蝶乙鳥(つばめ) 馬市たてしあととめて」と、長忌寸奥麿(ながのいみきおくまろ)の
「引馬野尓 仁保布榛原入乱 衣尓保波勢 多鼻能知師尓
(ひくまのに におうはりはらいりみだり ころもにほはせ たびのしるしに)」という
万葉歌碑が立っている。

 馬市はこの辺りから慈眼寺にかけて、陰暦4月25日から5月5日に開かれたという。

 国道を越えると宿という感じのする古い商店街。

 木製で白く塗ってある防災倉庫。大根切干買入所。純和風の建物の洋品店。
銅製の看板が古いお茶の販売店。

 今日泊まる知立セントピアホテルに着く。

 一服して知立駅の方にでて、「堤屋」のうなぎで夕食。
うす暗い所だが、味はよかった。

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