右手に永安寺。雲龍の松という樹齢300年の地を這うように枝が広がった松がある。
明治用水が暗渠で道路となっている三叉路の所に、用水の大きな記念碑が立っている。
その角に明治川神社。「碧海台地は長年用水の缺乏をかこち農村の疲弊に泣いていたが、
明治13年(1880)に用水路が開通して一大飛躍を見るに至ったので、由緒の深い神を勧請し
奉り明治川神社とした」。大きいがなんの変哲もない「しょうわ」狛犬がいる。
邨社日吉神社がある。拝殿が古くなって傾いているので鉄のつっかい棒がしてある。
尾が立派な大正14年(1925)の「はじめしょうわ」狛犬がいる。
道にでると明治用水の説明があり、矢作川から取水し一帯を潤していることが分かる。
濱碇という当地出身の相撲力士の石像がある。
横に小さな祠があり、小さな「構え」の「陶器」の狛犬がいる。
猿渡川橋を渡り、知立にはいる。
右に御鍬神社。鳥居が木製で、なぜか縦の柱の中程に注連縄が掛かっている。
檜皮葺きの本殿があり、拝殿との間の廊下がガラス張りである。
来迎寺前という三叉路に、「従是四丁半北八橋業平作観音有」と彫られた元禄9年(1696)の
道標がある。
伊勢物語で「そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つわたせるに
よりてなむ」ということで、ここで業平が杜若(かきつばた)の五文字を読み込んで
「から衣着つつなれにし 妻しあれば はるばるきぬる旅をしぞ思ふ」と歌っている。
在原業平ゆかりの日吉神社には大正10年の「唐草尾下がりしょうわ」の狛犬がいる。
ウンの狛犬は、子狛が親の前足を手で持ち上げている珍しい格好である。 |