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第28日 吉田〜御油             
          (豊橋)  (国府)               
                             宿間の距離   10.2km     1998.11.01
                歩いた距離   17.7km        

 朝食を食べ、9時頃ホテルをでる。

 菜飯田楽で有名な「きく宗」はホテルの斜め向いにある。
「菜飯田楽は東海道では菊川、目川などが有名だが今残っているのはここぐらい」とか。

 昨日見ないで通り過ぎた街道筋を、少し戻ることにする。

 うなぎ「丸よ」の入口に吉田宿本陣跡の石碑がある。

 電車通りを札木で越えて古い町並みをいくと、通りの中央分離帯の中に曲尺(かねんて)門址
の石碑がある。現在は広い真直ぐの通りであるがかつては直角に曲がっていたのであろう。

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 吉田城の方へいくと豊橋神明社がある。ここは2月11日に奉納される
国の重要無形文化財の奇祭の「鬼祭」が有名である。
「この神社は天慶3年(940)創建で、平将門の乱の鎮定を喜んだ朝廷が
伊勢神宮への報賽として飽海郷(三河国新神戸)を献上し、この神領の
安泰と繁栄を祈願して始まったのがこの鬼祭りで、
鬼と天狗のからかいあいがこの神社の神事の田楽である」。

 七五三のお参りにきていたおばさんが鬼祭りの話をしてくれた。
「鬼が町内を逃げ回り、お付きの人たちが飴をまく。
その飴を拾って食べると夏風邪をひかない」という。

 緑の屋根がきれいな木造の豊橋ハリストス正教会があり、
今日は日曜日なので多くの人が集まっている。

tokaido28-2.JPG  市役所を見ながら豊橋公園にいく。門をはいりから堀を越える。
ここは吉田城址で芝の広場の向こうに隅櫓がある。
そこにいくと豊川のきりたった所に城が建てられていることが分かる。
広重の「吉田 豊川橋」と同じ構図の場所を探すが、
木が茂っていて写真を撮ることがむずかしい。

 石垣の階段を川岸に下り、遊歩道を通って吉田大橋にいく。

 川は水を満々とたたえていてきれい。川に入ってつりの餌をとっている人がいる。

 吉田大橋をくぐって、橋のたもとの吉田神社にいく。
渦巻き模様がついた岡崎の石工酒井○○が作った大正6年(1917)の「はじめしょうわ」狛犬が
いる。ここに花火師を浮き彫りにした「手筒花火発祥之地」碑がある。

 その先の神明社にいく。
ここは今川義元ゆかりの神社で、弁天堂の横に芭蕉の旅寝塚句碑がある。
「寒けれど 二人旅ねぞたのもしき」と刻まれている。

tokaido28-3.JPG  豊川に架かっていた昔の豊橋の親柱がある公園にいく。
実際にはなお70mほど下流に吉田大橋があり、
そこが船の出発点でもあったという。
この橋と背景の山は司馬江漢の「吉田」の絵と似ている。

 豊川を渡りすぐ左折して、土手下の道をいく。

 聖眼寺境内に松葉塚がある。芭蕉没後50年を記念して立てたといわれる句碑
「松葉(ご)を焚いて手ぬくいあふる 寒さ哉」。

 一里塚跡の標石がある。この辺りは古い街道の面影が残っている。

 大きな倉庫がある。また材木店、わりばし、ちょうちん、折箱など木に関係する店があり、
豊川の水運と関係するのか。

 歌枕の「鹿菅の橋」を渡る。
「行けばあい行かねば苦るし鹿菅の わたりに来てぞ思ひわづらふ」(中務)。汚れた排水路の
小さな橋で有名なものとも思わず、橋の名前が「志かすかはし」となっていたことを記憶して
いただけである。

 左に日吉神社。大正12年(1923)の「はじめしょうわ」狛犬。大きい神社だが殺風景。

 隣が豊橋魚市場だが日曜日で閉まっていた。
その向かいに一軒だけ開いていた「魚河岸大江戸」という寿司屋にはいり昼食。

 豊川放水路を高橋で渡る。歩道がなくて車が大変恐い。

 すぐにとんぼ公園がある。農業用水を利用し水草がいっぱいの池があり、
季節には大飛行隊が飛んでいることを想像する。

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 菟足(うたり)神社がある。
式花火、山車で有名な「風祭り」など祭礼も盛んであるという。
本殿はきれいな畳敷きで、社紋は兎である。

 大正5年(1916)の岡崎の酒井孫兵衛の作った
「唐草しょうわ」狛犬がいる。 

「千年の昔、菟足神社の春の大祭の初日に、近くにある小田橋を通る若い女を生贄にする風習が
あった。ある年生贄狩りに出た村人の前に、父母との再会に胸を躍らせて一人の娘が現れた。
見れば我が子であるがやむを得ないと生贄として神に奉った。それからその橋を子断が橋と
呼ぶようになった」という。  

 隣が神主の屋敷で、江戸中期と伝えられる長屋門があった。
またこの神社とその周辺に縄文時代早期の菟足(うたり)神社貝塚がある。

 伊奈村立場茶屋(俗称茶屋本陣)跡がある。この地が吉田と御油の中間にあたるので、
立場茶屋が設けられた。かつては良香散という薬を売る加藤家があり有名であった。

 芭蕉が加藤烏巣の邸に泊まった時の「かくさぬぞ 宿は菜汁に唐がらし」と
鳥巣の「ももの花 さかひしまらぬかきね哉」の句碑がある。

 この辺りが正月の縁起物である三河万歳の発祥の地であるという。

 一里塚跡に「鼓」と書いた暖簾のかかった太鼓屋がある。
この辺りは連子格子の清潔な家並みである。

 平坦で変化のない道を進んで、国道1号と合流する。

tokaido28-5.JPG

 国府(こう)駅の近くになると急ににぎやかな商店街になる。

 柳細工の店があり、柳でつくった乳母車が天井からぶら下げて
あり、他の細工物も並べてある。

 道の角に、火口が小さな祠のような屋根のついた常夜灯と、大きな秋葉山常夜灯がある。

 行基が如来を彫ったといわれる薬師堂がある。

 宿の商店街を右に曲がり、国府から名鉄で豊橋へいき、新幹線で帰宅。

           

Q.狛犬を作ったのはだれか。

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