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第23日 金谷〜日坂〜掛川 

                宿間の距離  6.5+7.1km   1998.07.19
                歩いた距離     19.3km         

 朝食の後、8時頃旅館を出発。
 金谷の宿の本陣跡は、現在佐塚書店である。

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 金谷駅の近くの巖室神社にいく。
ここは昨日参拝した八雲神社に対して姫宮というので、
小さな川に架かる橋は姫宮橋。擬宝珠が蓮の花のようであり、
傘のない大きな秋葉山灯籠がある。

 少しもどって、大井川鉄道とJRの線路をガードでくぐって
旧東海道をいく。

 すぐ左の山の上は長光寺。急な階段の上にある大きな寺だが、
横目で見て先に進む。

 今日は夏休みの始まる日で、子供会が廃品回収をしている。
トラックに大人と一緒に子供たちが新聞紙などを積み込んでいた。

tokaido23-2.JPG  少し坂を登って国道を渡ると、金谷坂の石畳道がある。
「この石畳は、江戸時代幕府が近郷集落に助郷を命じ、
東海道金谷宿と日坂宿の間にある金谷峠の坂道を旅人たちが
歩きやすいように、山石を敷き並べたものであるといわれています。
平成3年に町民が『平成の道普請』で延長430メートルが
復元されました。
いま街道の石畳で往時を偲ぶことができるのは、ここと箱根峠、
中山道十曲峠の三ヶ所だけとなりました」。

 石畳道の右に六角堂地蔵尊があり、中に新しいまるまるとした双体のお地蔵様がいる。
地蔵堂の上にもう一つ屋根が覆っているのが面白い。

 登りきった所に、芭蕉句碑「馬に寝て 残夢月遠し茶の烟」がある。

 右にいくと武田信玄が築城した諏訪原城跡。入口がわからなかったので素通りする。

 頂上から「小夜の中山」に向かう下り坂が再び石畳道である。
途中に「中納言宗行卿塚」への案内があった。

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 菊川の里にでる。左に菊川神社がある。小さな神社で、
本殿の周りは細い注連縄がぐるりと巻いてあるのに、
脇の祠は太く極端に短い注連縄で飾ってある。

 久しぶりの狛犬。
昭和35年(1960)の鼻ぺしゃの「尾下がりしょうわ」狛犬
である。他の寺社などでは屋根の上の飾りの狛犬は下向きに
逆立ちの格好が多いのだが、ここは二匹とも上を向いて
きちんと座っていた。

 旧道にもどる。

 菊川は間(あい)の宿で、その説明板がある。
「間の宿とは人足や旅人の休憩のために作られたもので宿泊は厳禁されていた。
また本格的な料理を出すことも禁じられていた」もので、ここの名物は菜飯田楽である。

 さんぽ茶屋という新しい会館が開いていたので、そこで一休み。
軽食と手作りの野菜やお弁当を売っている。山菜おこわを昼食用に買う。

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 その会館の前に、宗行卿の詩碑がある。
承久3年(1221)鎌倉幕府を倒すことに敗れた後鳥羽上皇と藤原宗行は
鎌倉に送られた。その時「昔は南陽軒の菊水下流を汲みて齢を延ぶ。
今は東海道の菊川西岸に宿りて命を失う」。
 

 またその約百年後、正中の変(1324)でとらえられた日野俊基の歌碑
ある。
鎌倉へ送られる途中、菊川の宿で「いにしへもかかるためしを菊川の
おなじ流れに身をやしづめん」とある。

 かなり急な登り道をいく。一面茶畑で、霧除けの風車が林立している。

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 山の上に古色蒼然とした久延寺

 掛川城主山内一豊が、関ヶ原に向かう
徳川家康をもてなすために造った茶亭跡の
碑がある。
 本堂の前には家康お手植えの五葉松。

 境内に夜泣き石があり、
寺の隣りに子育飴の茶店「扇屋」がある。

 夜泣き石の物語は、「小夜の中山に住むお石という女が菊川に働きにいっての帰り、
金を奪われ殺された。お石は妊娠していたので子供が生まれた。
お石の魂魄が石にのり移り夜毎に泣くので、夜泣き石といわれるようになった。
子供は久延寺の和尚に飴で育てられ、刀研ぎ師になった。
後に刀を研ぎにきた仇に逢い恨みを果たした」という。

 茶畑の間の道を下っていくと、一里塚の碑。小さな白山神社。馬頭観音。
そして夜泣き石跡とその説明碑がある。
 広重と江漢の「日坂 佐夜ノ中山」の絵と同じ構図の場所を探したが、
はっきりわからなかった。

 七曲がりの急坂を下り、新道の手前に上伝馬や越前屋など旅籠や店の名が真新しい
木札で表示されている。いよいよ宿に入るのだという気分。

 日坂の宿にはいる。江戸から25番目の宿。家の前に昔の屋号の木札が立っている。

 日坂小学校の所が本陣の「扇屋」跡で、
その前に安政3年(1856)建立の大きな秋葉山常夜灯がある。

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 現在も旅館を営業している池田屋の古い格子窓の建物の
入口には紺地の暖簾がかけてある。 
 嘉永5年(1852)の日坂宿大火と安政元年(1854)の安政の大地震で
日坂のほとんどの建物は壊れ、江戸時代の面影を残す唯一の
建物は川坂屋で京風の細かな格子窓(出格子)が特徴である。

 下木戸跡の所に昔の高札場が再現されていた。

tokaido23-8.JPG tokaido23-9.JPG  日坂の宿をでて国道1号を越えた
所に、事任(ことのまま)神社がある。
事任神社は遠江一の宮であり、
誉田(こんだ)八幡ともいう。
枕草子に遠江の願い事が叶う
ありがたい「ことたまの社」として
書かれてあるという。
広い境内で木々が鬱蒼としていて、
玉砂利の白さが映える清潔な神社で
ある。

 入口のたいこ橋は、石の組み方がよく分かり面白い。
 境内のベンチで、「さんぽ茶屋」で買ってきた山菜おこわで昼食。

 街道左に塩井神社の鳥居があるが、蓮川をはさんで向こう岸に本殿がある。
そして橋は鎖につながれて川の中に落とされているので、渡ることができなかった。

 伊達方一里塚の碑がある。

 逆川にかかる馬喰橋を渡ると、葛川一里塚の碑があり、
道の右に振袖餅で有名な「もちや」と書かれた大きな木製の看板があった。

 旧道沿いの商店街をいく。この辺りは城下町の鍵型に曲がる道筋となっているので
ジグザグに歩いていくが、昔の道を本当に歩いているのかよく分からなかった。

 掛川駅に3時半に着き、静岡行きに乗り、乗り継いで帰宅。

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