夜泣き石の物語は、「小夜の中山に住むお石という女が菊川に働きにいっての帰り、
金を奪われ殺された。お石は妊娠していたので子供が生まれた。
お石の魂魄が石にのり移り夜毎に泣くので、夜泣き石といわれるようになった。
子供は久延寺の和尚に飴で育てられ、刀研ぎ師になった。
後に刀を研ぎにきた仇に逢い恨みを果たした」という。
茶畑の間の道を下っていくと、一里塚の碑。小さな白山神社。馬頭観音。
そして夜泣き石跡とその説明碑がある。
広重と江漢の「日坂 佐夜ノ中山」の絵と同じ構図の場所を探したが、
はっきりわからなかった。
七曲がりの急坂を下り、新道の手前に上伝馬や越前屋など旅籠や店の名が真新しい
木札で表示されている。いよいよ宿に入るのだという気分。
日坂の宿にはいる。江戸から25番目の宿。家の前に昔の屋号の木札が立っている。
日坂小学校の所が本陣の「扇屋」跡で、
その前に安政3年(1856)建立の大きな秋葉山常夜灯がある。 |