もどるfoot_linehidari.gif    iconhoum1.gif icon2133.gif   foot_line.gifすすむ

第24日 掛川〜袋井〜見付                
                                        (磐田)         
                宿間の距離 9.5+5.9km    1998.08.23
                歩いた距離    24.3km

 東海道散歩で、初めて新幹線を使った。

 6時に家をでて、新横浜を6時33分。掛川を8時半頃から歩き始める。

 掛川の木造のこじんまりした駅はとても新幹線停車駅とは思えない。

tokaido24-1.JPG  町並み保存に力をいれて、銀行、葛布(くずふ)の店、
山車の保管庫、集合した商店の中の市の出張所等は、
城下町らしい白壁の旧家造りに立て替えられている。
全体に新しすぎるのは致し方ない。

 天然寺。ここに寛政10年(1798)、江戸で将軍に謁見しその帰りに掛川で亡くなった
オランダ使節ケイスベルト・ヘンミイの墓が塀の外側の道に面してある。

 小高い丘の上に掛川城がある。平成6年に天守閣を初めて木造で復元したという。
逆川の石垣と樹木の緑と青空の中で天守閣の白壁が清楚に輝いていた。

 掛川城の蕗(富貴)の門が残っている。古い造りで屋根の上の陶器の亀の飾りが面白い。

tokaido24-2.JPG

 旧道が右に回り込むと、新しい市街地から古い家並みになる。

 右にはいり公民館の前に、十九首(じゅうくしょう)の塚
藤原秀郷と平貞盛に滅ぼされた平将門以下19人の首級を
埋葬してある。

 逆川を逆川橋で渡り、国道1号にでる。

 ショウケースに少量の商品と織機が三和土(たたき)に置いてある村松葛布店がある。
葛布は葛の蔓からとった繊維を横糸にして織ったものである。

 倉真(くらみ)川を大池橋で渡る。これが広重の「掛川 秋葉山遠望」の橋である。 
絵にある秋葉山は見えない。

 ここからが秋葉権現への道で、鳳来寺や豊川稲荷を通り御油に出る道である。
大きな鳥居は今はなく、赤い小さな鳥居と祠のある正一位秋葉神社がある。

tokaido24-3.JPG

 私たちは旧道をいき、天竜浜名湖鉄道の西掛川駅のガードを
くぐり、白山神社にいく。

 ここの狛犬は昭和63年(1988)の太った「新しょうわ」であるが、
体に注連縄を巻いていた。拝殿の漆喰壁には龍の鏝絵があった。

 「曽我鶴」の造り酒屋がある。

 東名高速をくぐり同心橋を渡ると、右に夏涼山仲道寺がある。
夏の日差しが強く、苦しい散歩をしているので夏涼山の名に救われる気持ち。
門の前に「東海道之真中 仲道寺」の碑があり、「その昔江戸から京まで測量したところ、
この寺がちょうど東海道の真ん中にあるので仲道寺と寺名がついた」といわれている。
 その境内の一角に善光寺如来堂がある。

 田んぼの中に原川の松並木が続く。

 

tokaido24-4.JPG

 原野谷川で袋井市にはいる。

 街道をいくと松並木の中に、駕篭の形をしたゴミ集積所
その壁に名栗の花茣蓙売りと袋井の丸凧の絵が描かれている。
広重の「袋井 出茶屋ノ図」の雰囲気。

 久津部一里塚の碑が袋井東小学校の中にある。

 右に七ツ森神社。
「伝説では桓武天皇の頃、出没していた怪鳥を退治するために派遣された七人の武士は、
返り討ちにあい命を落としました。哀れんだ村人が墓を作りました。
その墓が七ツ森だと伝えられています」。

 遠州三山(可睡斎・法多山・油山)の一つである「あぶら山道」の道標がある。

 また「これより可睡斎坊道」の道標がある。
今川家の人質であった家康を助け出した等膳和尚が、
後に家康に面会の席で居眠りをし「和尚眠るべし」といわれ、寺の名としたという。

 市役所の横を通り、商工会議所で小休止。

tokaido24-5.JPG

 すぐに「是より袋井の宿」の標石がある。27番目の宿。

 天橋(阿麻橋)は宿の東の入口に架かっていた土橋。
これは広重の「袋井 出茶屋図」に描かれている所で、
現在その角に青いトタン屋根の食堂「坂口屋」がある。
これが現代の出茶屋か。

 右側に銅の鳥居の白髭神社がある。

 へそ寺で有名な袋井山観福寺。
延暦12年(793)に創建され、「袋井」の地名はこの山号による。

 御幸橋を渡り、唯一開いていたラーメン屋で昼食。

 木原一里塚の標示杭がある。

 郷社許弥(こね)神社。ここに木原畷の碑がある。
「武田信玄が天下を取るため東海道を西に向かった時、
徳川家康がそれを阻止しようと戦いを挑んだ。
三方ケ原の戦い(1572)の前哨戦というべき古戦場」である。

 平成2年の御大典記念の「新しょうわ」狛犬。

 蟹田川を渡ると磐田市。

 「三ケ野七つ道」で坂道を上る。この坂には時代の異なった道がある。
まず大正の道と明治の道に分かれており、明治の道を選ぶ。
それがまた分岐する江戸の道を通る。坂を上った所に「車井戸之跡」の碑がある。
また鎌倉の道という舗装してない道もあった。

tokaido24-6.JPG
明治の道

tokaido24-7.JPG
江戸の道

tokaido24-8.JPG
鎌倉の道

 国道1号に合流する所が遠州鈴ヶ森。草ぼうぼうの中に「妙法無縁之万霊」の碑がある。
ここが日本左衛門の首が晒された所という。

 阿多古山一里塚がある。江戸から62里。ここに見付宿の東の木戸跡がある。

 静岡銀行見付支店の前に「問屋場跡」の案内板があった。

 右に淡海国玉神社がある。平安時代からの遠江の国の総社。
大きく清らかな神社で、拝殿の青銅の屋根のそり具合が気持ちよい。

tokaido24-9.JPG  神社の隣りに旧見付学校がある。
これは明治8年(1875)に建てられた、
現存する日本最古の洋風木造小学校である。
白壁の三階建てで二層の塔がついている、こじんまりした建物。

tokaido24-10.JPG  西坂町の角に「これより 姫街道 三河御油宿まで」の案内板がある。
これが「本坂越え」の街道で、
その入口に白壁が少しはげてはいるが大きな土蔵が並んでおり、
昔の面影を残している。

 ここを南に曲がっていく。

 磐田南高校の先に、遠江国分寺跡公園がある。
小さな薬師霊場のお堂があり、その他はだだっ広い広場に礎石が所々残っているだけである。

 国分寺の向かい側に府八幡宮がある。

 府八幡宮は、奈良時代に桜井王が国司として赴任した時、
国内がよく治まるよう建立したものという。
楼門は「寛永12年(1635)に建立されたものである。
入母屋造りで建物全体に深みと美しさのある純和風建築物である」。

 御行幸奉迎記念と書かれた昭和5年(1930)の頭でっかちの「はじめしょうわ」狛犬がいる。

 社務所の横に古い土塀が一部残っていた。

 古い商店街が続き、ジュビロ磐田の応援の垂れ幕がかかっている。

 予定より大幅に遅れて駅に着き、鈍行を乗り継いで、帰宅。

 

東海道一口メモ:首塚

 もどるfoot_linehidari.gif    iconhoum1.gif icon2133.gif   foot_line.gifすすむitem098.gif

 地図へ  :  狛犬カタログへ : 狛犬一口メモ : 東海道一口メモ : 注と参考資料