もどるfoot_linehidari.gif    iconhoum1.gif icon2133.gif   foot_line.gifすすむ

第15日 沼津〜原〜吉原              
          (片浜)      (富士)
                         宿間の距離   5.9+11.7km    1998.04.04
               歩いた距離      22.7km          

 1月14日に三島から片浜まで歩き沼津に一泊したが、15日の成人の日は大雨だったので、
予定を変更して由比の東海道広重美術館へいった。それからほぼ3ヵ月になる。
 今日は、その時歩いていない片浜から蒲原までの間をつなぐこととした。

 朝7時頃家をでて、藤沢から鈍行を乗り継いで10時頃片浜に着き、歩き始める。

tokaido15-01.JPG

 東海道線に沿った旧道をいく。街道から海に向かって集落があり、
それぞれに小さな神社がある。

 伊勢神明社という小さな神社。三界万霊塔があり、
その由来碑には「寛政年間(1789-)日蓮宗の僧侶が信者に
極楽往生を説き、騙して宝銭をとる悪行が行われたので廃寺にした」
という寺が、線路向こうのJRの変電所の所にあったという。
その万霊を祭ったもの。

 神明宮。鳥居の脇に座像の形の石の2体の道祖神。赤い帽子をかぶり、前垂れをかけている。

tokaido15-02.JPG

 「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」と
いわれた臨済中興の祖白隠禅師の松蔭寺へいく。
白隠は禅画にも堪能で達磨や観音などを好んで描いた。

 有名な擂鉢松があり、確かに松の木の上に鉢がかぶっている。

 本堂脇の講堂の前に、今まで見たこともない左右ともアの
「江戸くずし」狛犬がいた。全体に彫りが単純で形が素朴である。
顔が大きく扁平でダンゴ鼻。口は横に開き笑っているようだ。
右は雄の印があり、左は雌を表しているようだ。

 浅間神社(愛宕神社)。昭和13年(1938)の「江戸くずし」の狛犬がいる。
太いたてがみが胸に流れている。
右の狛犬にいる子狛は極端に小さく、天邪鬼のように這いつくばっている。
左の狛犬はボタンを持っている。

 原の宿の「夢舞台東海道」の道標がある。

 白隠正宗の高嶋酒造の蔵造りの店舗がある。
店の前に富士の伏流水の蛇口とその説明板があった。

 浅間神社にいく。境内が広い砂地である。

 この神社の鳥居には江戸本石町十軒店山崎金兵衛と彫られている。
「古老の口伝によると、駿河灘で暴風のため大舟が航行不能になったが、
積み荷とともにこの神社の地先の海岸に打ち上げられ救助されたのは、
此の浅間の大神のご加護によると感謝され、此の鳥居を奉納した」。

 今日は雪を頂いた富士山がよく見える。
愛宕山との関係で広重の「原 朝之富士」の所かと思われるスーパーの駐車場から撮影する。

 浅間神社。慶安3年(1650)創建の当地の鎮守の神様。鳥居の前に「舟形石地蔵」がある。

 東田子の浦の手前で東海道線を渡ると、舟形の石地蔵と双体道祖神がある。

 田子の浦の海の堰堤をいく。
海沿いの松林の上にある富士山は雄大で、
「田子の浦ゆ うちい出て見ればま白にぞ 富士の高根に雪は降りける」はこれを歌ったものか。

 風もなく駿河湾は静かで伊豆半島や御前崎までうっすらと見える。
つりをする人、ジョギングをする人が二三人いるだけで本当に静か。

tokaido15-03.JPG

 昭和放水路がある。
ここは増田平四郎という人が一帯を開拓したもので、
石垣造りで松が茂っている。

「天文堀」の説明がある。
この辺りは地名に新田とついた所が多いが、大野・桧・田中の三新田を
水害から守るため、高橋勇吉が天保7年(1836)から嘉永3年(1850)に
完成した排水用の堀割である。
勇吉が天文の知識や土木技術に優れていたので、この堀割のことを
人々は天文堀と呼んだという。

 左の小高い丘の階段を上っていくと、異国風な毘沙門堂で有名な妙法寺がある。
鳥居を通して富士山がくっきりと見えた。

tokaido15-04.JPG

 中国風の青い龍が彫られている護摩堂が中庭にあった。
たまたま数台の消防車を並べ、消防士が整列し、
坊さんが護摩の火を振り回して、今年1年の祈祷をしていた。

 入り口の鳥居の前の階段横に大正13年(1924)の虎が一対いた。
新宿神楽坂にある善国寺毘沙門天にも虎がいた。
毘沙門には虎がつきものらしい。

 吉原宿は江戸初頭には元吉原にあったが、寛永16年(1639)の大津波で壊滅し、
約2km北方の左富士辺りに移った。しかし延宝8年(1680)に再び大津波で壊滅したので、
現在の富士市中心に移ったという。 

tokaido15-05.JPG

 東海道線を渡り、北西に向かう。
河合橋で滝川を渡り新幹線を横断する。

 左富士神社がある。小さな神社で本殿には鰐口の鐘がかけてある。
足座なしで岩の上に「唐草尾下がりしょうわ」狛犬がいる。
また赤い前掛けをつけて座った形の道祖神がある。 

tokaido15-06.JPG  神社をでて少し北へ進むと、富士山が街道の左側に移る。
これが広重の絵でも有名な「吉原 左富士」。
今は松が一本残っているだけなのが寂しい。
京への上り道中ではもう一ヵ所、茅ヶ崎の南湖でも左に富士が
見えるが、通った時はあいにく曇っていて見えなかったので、
感慨ひとしおである。

 吉原宿の道標があり、すぐに富士は右に移る。

 和田川にかかる新橋に「平家越(ごえ)」の大きな碑がある。富士川合戦の時、
水鳥の飛び立つ音で平家の軍勢を潰走させたので有名。

 そこを左に曲がると古い街道筋となり、岳南鉄道まで続く。

 吉原本町駅で踏切を渡ると歩道にアーケードがかかった商店街で、吉原宿の中心である。

 富士市役所を横に見ながら西へ、入り日を追いかけるようにしていく。

 右に赤く染まった富士を見、田子の浦港に注ぐ潤井(うるい)川を富安橋で渡る。

 この辺りから風向きの関係か、製紙工場のすっぱい臭いがする。

 「鶴芝の碑」と説明がある。
「この碑は文政3年(1820)鶴の茶屋に立てられたもので、
ここから雪の富士を見ると中腹に一羽の鶴が舞っているように見えたことによる」。 

 なお西へいき、今日の宿である富士ホワイトホテルに着く。
ここは江戸時代に通称小塚陣屋といわれていたという。

 一休みしてから、富士駅前の飲み屋で夕食。その後ラーメンを食べて、ホテルに帰って宿泊。

      もどるfoot_linehidari.gif    iconhoum1.gif icon2133.gif   foot_line.gifすすむ

item098.gif

 地図へ  :  狛犬カタログへ : 狛犬一口メモ : 東海道一口メモ : 注と参考資料