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第14日 三島〜沼津    
                                  (片浜)                               
                   宿間の距離   5.9km      1998.01.14
                 歩いた距離   18.5km      2000.03.18

 今日は休暇をとり、初めて泊まりがけでの東海道散歩。
家を7時頃出発し、東海道線の鈍行で、三島に9時頃着く。

 駅前通りに浅間神社がある。伊豆二の宮として三島大社に次ぐ神社。
富士登山をする者は必ずこの神社に参ったという。

 白滝公園の中に農兵節碑がある。「富士の白雪朝日に溶ける 三島女郎衆の化粧水」。
道の脇に白滝観音の小さなお堂がある。

 駅の近くの菰池公園から流れ出ている桜川に沿って、遊歩道がある。

 「三島水辺の文学碑」があり、黒い石に三島にちなんだ文章が刻まれている。
正岡子規「面白や どの橋からも秋の不二」に始まり、若山牧水、司馬遼太郎、太宰治等の
7人。

 桜川に沿っていくと三島神社。脇からはいるとすぐに末社の祈所(はらへど)神社。
昔国司が卜占をした所という。

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 三島大社の宝物殿の前に、明治43年(1910)のゆったりした
「江戸」狛犬がいた。アには子と玉が、ウンは玉だけ。
易学方位業と産婆業の夫婦が奉納したもの。
拝殿の中に黒く光った小型の犬がいる。

 境内でどんど焼きの準備がされており、
背の高い竹にだるまがいくつもぶら下げられていた。
 三島大社の正面の常夜灯は、広重の「三島 朝霧」の絵では
鳥居の外にあるが、実際には司馬江漢が描いた絵と同様
鳥居の中にあった。

 三島神社の前を南に下るのが下田街道であるが、私たちは旧道を西にいく。
アーケードがかかり、古い造りの店が並ぶ。

 少しいき、左にはいった所に八坂神社がある。
江戸時代には、三島の宿は火事に数度あい、疫病も流行したので防火鎮護の秋葉の神と
疫病防除の素戔之男命を祭って以来この地域の氏神にしてきたという。

 商店街に本陣跡、問屋場跡の説明板がある。

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 左の源平川沿いの三石神社に、江戸時代に時刻をしらせた
「時の鐘」がある。
昭和30年頃までは朝晩6時に鐘をついていたという。
川には古い石の水樋がかかっている。

 連馨寺の入り口に芭蕉老翁墓と「いざともに 穂麦くらはん旅枕」
の句碑がある。
また嘉永5年(1852)の彫りがはっきりした馬頭観音がある。 

 伊豆箱根急行の広小路駅を横切る。
国道1号と離れ左の旧道をいく。

tokaido14-03.JPG tokaido14-04.JPG  伊豆、駿河の国境の境川
かけられた千貫樋がある。
 天文24年(1555)に今川、武田、
北条三家の和睦が成立した時、
北条氏康から今川氏真に婿引き出物
として小浜池から長堤を築き、
その水を駿河に疎通させたと
いわれる筥(はこ)樋である。
 家並みの奥にはいると、
きれいな水が勢いよく流れていた。

 清水町新宿に着く。この辺りから旧家や蔵が目につく。

 道の右の木や草が鬱蒼としている玉井寺内に一里塚が、
その向かいの宝池寺の門前に改修された一里塚がある。

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 右に長沢八幡神社がある。
桜並木の長い参道をいくと、
治承4年(1180)頼朝挙兵の報に義経が奥州より駆けつけ、
涙の対面をしたという対面石がある。

境内の一角になぜか右のアだけが残っている昭和8年(1933)の
おかっぱ頭の「江戸くずし」の狛犬がいる。

 智方神社があり、注連縄で飾ってある昭和15年(1940)の紀元二千六百年記念の
こわい顔の「江戸くずし」狛犬がいる。境内に大塔宮護良親王の御陵があった。

 黄瀬川に架かる橋のたもとの土手下に石碑群。

 黄瀬川を渡り沼津にはいる。

 街道沿いに右に潮音寺。入り口に亀鶴観音の碑がある。
亀鶴は「鎌倉時代、大磯のとら、けわい坂の少将、
きせ川のかめづるとて名を得しゆう女なり」。
また「御伽草子」では「当時の美女として手越の千手、池田の熊野(ゆや)とともに
名があげられている」。

 国道1号を少しいき、左の狩野川土手沿いの道をいく。

 日本三大仇討ちの一つである平作地蔵尊がある。

 一里塚公園に榎の一里塚がある。
ここに千二、三百年前に玉類を磨くために用いた砥石と伝えられる「玉砥石」が置いてある。

 讃岐うどんの「藤の家」で昼食。

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 日枝神社にいく。永長元年(1096)に創建された神社という。
本殿前に顔や鼻が小さい昭和3年(1928)の「江戸くずし」狛犬

 境内に芭蕉の「都を出て 神も旅寝の日数哉」の句碑がある。

 狩野川にもどり土手を歩く。
河原では松飾りや竹を積み上げて、どんど焼き(いわゆる左義長)
の準備をしている。
作業をしているおじさんに聞くと明日の夜に焼くという。

 土手の道は西に向かい、三園橋、御成橋方面の曲がり具合は広重の「沼津 黄昏図」、
江漢の絵と同じで、絵の満月は西にあるので明け方の月ということがわかり、
広重の「黄昏図」という題は誤りという説明がうなづける。

 土手道から旧国道にもどる。三枚橋の交差点。
この辺りが沼津宿の中心で、歩道橋先の鈴木製あん所角を左に入る道が「川廓通り」。
昔はここから江尻へ舟が出ていたという。

 永代橋を左に見て右折し、宮町を通り、浅間町の丸子・浅間神社にいく。
筋肉質の平成7年の「江戸くずし」の狛犬がいる。

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 千本松原通りに乗運寺がある。
ここには若山牧水夫妻の墓があり、
「聞きいつつたのしくもあるか松風の 
今は夢ともうつつともきこゆ」の歌碑がある。

 まっすぐな道をいく。

 東間門陸橋の先に「六代松 是より南一町半」の石の案内がある。
平家物語で平維盛(これもり)の子六代御前がこの地で殺されそうになった時、
文覚(もんがく)上人に助けられたという。六代松と名づけられた松といくつかの石碑がある。

 西間門で旧道にもどる。

 「従是東」の沼津藩の藩境を示す領界石がある。
「これは安政6年(1777)、水野出羽守忠友が沼津に領地を賜ったときに建てられたもので、
下石田に『従是西沼津領』と刻まれた石柱と対になるもの」という。

 右側に間門八幡宮がある。小諏訪に諏訪神社があり、大諏訪には八幡神社。
この辺りの神社の注連縄はまっすぐ鳥居にかかっている。すぐに天満宮がある。
地図を見ると新田ごとに町名がかわり、それぞれ小さな神社を持っている。

 片浜駅にたどり着き、JRで沼津にもどって沼津グランドホテルで一泊する。

 夕食は駅前の居酒屋「魚河岸」で魚料理。

 

 (翌朝)沼津グランドホテルの裏手に、城岡神社がある。
この神社は沼津城第二代藩主水野忠成が文政7年(1824)に造営したもの。
平成3年の「鈴しょうわ」の狛犬がいる。

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