大名行列に追いつく。
ゆっくりした歩調の行列を追い抜いていくと、行列が停まり、私たちは猿沢橋で止められた。
タイミング良く目の前で大名行列の演技が披露された。
橋の上で、鉄砲隊が一斉に古式銃を撃ちその音の大きさに驚いた。
奴さんが踊りをしながら毛槍を相互に投げ渡す。
行列が「下に下に」のかけ声で、歩調を合わせて動き出す。長持ち人足のかけ声も勇ましい。
ここで行列と別れて正眼寺までもどる。
大きな石地蔵があり「鎌倉時代、箱根地方に広がった地蔵信仰の中から生まれた寺」である。
しだれ桜が咲く頃はきれいだろうと思われる石段を上っていくと、曽我堂がある。
建久4年(1193)5月富士裾野で父の仇工藤祐経を討ち本懐を遂げた、
曽我五郎十郎の菩提供養のため建立されたものである。
曽我堂の地蔵菩薩は江戸時代曽我歌舞伎の流行とともに、化粧地蔵として信仰を集めた。
明治元年(1868)に戊辰戦争の戦火にあい焼失したが、
大正3年(1914)に松竹歌舞伎の関係者によって堂が再建されたという。
奉納者の名が額になって掛けられている。
お堂の前には、頭の大きな「はじめしょうわ」の狛犬があり、
上仲町飲料水源隧道の成立記念で昭和2年(1927)に建立されたもの。
その裏に石仏、石塔が集められている。
明徳元年(1390)の宝篋印塔や応永20年(1413)の不動明王立像などがある。 |