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第12日  箱根
          (湯本)〜(元箱根)
                                      1997.11.03
                               歩いた距離   15.9km       2000.01.22

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 この日、箱根大名行列があるというので、
湯本から元箱根を先に歩くこととした。
そのことから「第10日 小田原(国府津)〜小田原」と
「第11日 小田原〜箱根(湯本)」の実際にいった日付が前後している。

 小田急の湯本駅で下車し、三枚橋へいく。
行列を追って、人でごったがえす道をゆきつもどりつした。

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 左の山の斜面に杉が茂った白山神社

 「江戸耳長」狛犬がいる。
右の狛犬にいる子狛はオッパイを飲んでおり、
左の狛犬には足元と背中に子狛がいる。
大正5年(1916)の作で、大きな耳が横にでている。

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 向かいの早雲寺へいく。
北条早雲の遺命によって、大永元年(1521)
子の氏綱が建立した北条氏の菩提寺で、一族の墓がある。
清潔な広い境内で建物がどっしりしている。

 連歌師宗祇の供養塔(墓)があり、
「世にふるは さらに時雨の宿りかな」の辞世の句碑がある。

 大名行列に追いつく。
ゆっくりした歩調の行列を追い抜いていくと、行列が停まり、私たちは猿沢橋で止められた。

 タイミング良く目の前で大名行列の演技が披露された。
橋の上で、鉄砲隊が一斉に古式銃を撃ちその音の大きさに驚いた。
奴さんが踊りをしながら毛槍を相互に投げ渡す。
行列が「下に下に」のかけ声で、歩調を合わせて動き出す。長持ち人足のかけ声も勇ましい。

 ここで行列と別れて正眼寺までもどる。
大きな石地蔵があり「鎌倉時代、箱根地方に広がった地蔵信仰の中から生まれた寺」である。

 しだれ桜が咲く頃はきれいだろうと思われる石段を上っていくと、曽我堂がある。
建久4年(1193)5月富士裾野で父の仇工藤祐経を討ち本懐を遂げた、
曽我五郎十郎の菩提供養のため建立されたものである。

 曽我堂の地蔵菩薩は江戸時代曽我歌舞伎の流行とともに、化粧地蔵として信仰を集めた。
明治元年(1868)に戊辰戦争の戦火にあい焼失したが、
大正3年(1914)に松竹歌舞伎の関係者によって堂が再建されたという。
奉納者の名が額になって掛けられている。

 お堂の前には、頭の大きな「はじめしょうわ」の狛犬があり、
上仲町飲料水源隧道の成立記念で昭和2年(1927)に建立されたもの。

 その裏に石仏、石塔が集められている。
明徳元年(1390)の宝篋印塔や応永20年(1413)の不動明王立像などがある。

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 街道にもどって、
すぐ右の旅館の脇に22番目の一里塚の石碑。
この辺りが湯本茶屋の中心であったという。

 右に県道とわかれて細い道がある。
これが旧東海道の石畳道
下っていくと石造りの馬の水飲み桶。

 箱根観音福壽院はがけの上に立っている。見晴らし台から下の温泉街が見える。
ずっと下で大名行列が演技をしていた。

 県道にもどって坂を上っていく。

 初花の滝の石碑。鎖雲禅寺に「箱根霊験記」で有名な飯沼勝五郎と初花の墓がある。

 須雲川自然探勝歩道の入り口に、曽我五郎に因んだ割石坂の石碑。

 箱根道の難所の一つである女転(ころがし)坂を通る。
この名は「馬に乗った女性がこの辺りで落馬して死んだことから」とのこと。

 1kmほど石畳の道をいく。
石を組んで「雨水を石畳の外へ追い出すための斜めの排水路」が残っている。

 畑宿にでる。
「畑宿は箱根街道の間(あい)の村として栄えたくさんの茶屋が並び、名物のそば、鮎の塩焼き、
箱根細工が旅人の足を止めました」。

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 左に双体道祖神。
 古い造りの「つたや」の前に昔風の木製の常夜灯がある。

 本陣「茗荷屋」跡の碑がたっており、庭園が残っている。

 「はたの茶や、よき茶や也。本陣も有」りと紹介されているが、
茗荷屋は大名なども休憩できる茶屋本陣であった。

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 畑宿は伝統工芸箱根細工が生まれた所。
木地細工が作られるようになったのは小田原北条氏時代である。

 駒形神社の前に庚申塔が置かれ、万治元年(1658)の石塔は笠付角柱の形で、
神奈川県で最も古いものという。

 寄木会館から旧道へはいると、江戸から23番目の一里塚が残っている。

 石畳の道をいく。
 江戸幕府は、元和4年(1618)旧来の湯本から湯坂山、浅間山、鷹巣山、
足の湯を経て元箱根に到る湯坂道を廃し、現在の箱根旧街道をつくった。

 現在残っている石畳は、文久3年(1863)2月和宮親子内親王が十四代将軍家茂に降嫁する時、
幕府が改修工事をさせたものといわれる。

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 西海子(さいかち)坂、
樫木(かしのき)坂、坂を登ると樫木平

 山の間にはるか小田原が見える。

 かつては見晴らし茶屋で、
現在はそば屋になっている。

 猿滑坂、追込(ふっこみ)坂

 鬱蒼とした木々の間からの木漏れ日と、
ところどころの紅葉が秋を感じさせる。

 安藤広重の「箱根 湖水図」のような険しい山々がある。

 東国の教化を終えた親鸞上人が京へ帰る途中、
笈をおろし一休みしたといわれる笈ノ平(おいのたいら)。
ここが東国の門徒を導くために、弟子を再び東国へ帰す師弟の悲しい別れの場所という。

 赤穂浪士の神崎与五郎で有名な「甘酒茶屋」で甘酒を飲み、裏の旧街道石畳の道を急ぐ。

 天ヶ石坂。

 登りきった所に「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」の馬子歌の歌碑がある。
ここから二子山がよく見える。

 少し下ると、湯坂道と合流する。ここからバス通りの上を渡り権現坂を降りていく。

 元箱根中央からバスに乗る。大名行列のためバスのダイヤが大幅に乱れているので、
箱根新道を経由して小田原駅に向かい、小田急に乗り換えて帰宅。

(2000.1.22) 芦ノ湖まで降りると箱根権現と書かれた標石がある。

 湖沿いに右へいくと赤い大きな鳥居と杉が鬱蒼とした箱根神社がある。
 「天平宝字元年(757)、箱根山を巡錫した満卷上人が箱根権現を祭ったのが始まりと伝えられる」。
「治承4年(1180)源頼朝が石橋山の合戦に敗れて逃れてくると、箱根権現別当行実はこれを匿い、
房総へ落ちのびさせた。
 頼朝はこれを恩として箱根権現を鶴岡八幡宮に次ぐ準宗社として篤く保護した」という。

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 大きく全身が苔むした堂々とした「招魂社」狛犬がいる。

 広い境内の中にある曽我神社には
小型の明治40年(1907)の「江戸耳長」狛犬がいる。

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