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第11日 小田原〜箱根
                (湯本)      
                     宿間の距離   16.5km   1997.11.16  
                     歩いた距離   11.9km   2000.01.08 

 小田急小田原駅で下車し、小田原城へいく。

 「小田原城が初めて築かれたのは、大森氏が小田原地方に進出した15世紀半ばのことと
考えられる。16世紀初め頃に小田原北条氏の居城となってから、関東支配の中心拠点として
次第に拡張整備され、豊臣秀吉の来攻に備えて、城下を囲む大外郭を完成させると
城の規模は日本最大の中世城郭に発展した」。

 紅葉がきれいで、人出が多い。

 箱根口御門に本町小学校がある。ここは旧幕時代の藩校集成館があった所である。

 小田原出身の近代浪漫主義の先駆者である北村透谷の碑がある。

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 城の周りをまわって公園にはいり、
当地で生まれた二宮尊徳ゆかりの報徳二宮神社へいく。

 七五三と結婚式で賑わっていた。

 鳥居の外に大きな大正5年(1916)の「京尾つき」狛犬
アの口が大きく、ウンには雄の印があった。
石工は三州岡崎の浅沼○次郎。

 ブロンズの二宮金次郎の像がある。昭和3年(1928)昭和天皇の即位御大礼記念として
制作されたもので「同じ像は全国の小学校などに約千体制作されたが
戦時中すべて供出に遇い現在残っているのはこの一体だけである」とのこと。

 街道より少しはいった所に赤い鳥居の小さな山角(やまかく)天神社がある。
石段を上った所に、芭蕉の句碑「梅が香に のっと日のでる山路かな」。

 東海道と箱根登山鉄道のガードをくぐると左に大久寺。
江戸時代の小田原初代の藩主大久保忠世を開基とする寺である。 

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 その向かいの居神(いがみ)神社にいく。
これは永正13年(1516)、三浦義意(よしおき)が小田原北条氏に
討たれた時に「我今より当所の守り神にならん」といったことから、
義意を慰めるための祠を建てたものである。

 昭和3年(1928)の御大典記念の「はじめしょうわ」の狛犬がいる。

市指定の重要文化財の古碑群がある。
「この古碑群は市街地(小田原市)に残っているものとしてはもっとも
古いもので、鎌倉末期のもの」といわれている。
その中の庚申塔に片手の仕草だけで「見ざる、聞かざる、言わざる」を
表しているものがある。鳥居は延宝5年(1677)のもの。

 右の旧道をいき、新幹線のガードをくぐり板橋にはいる。

 古い造りの民家、豆腐屋、漆器問屋、真黒な蔵造りの住宅など落ち着いた町並み。

 板橋の延命子育て地蔵堂にいく。身のたけ一丈の大金像があるという。
彩色された色々の家紋がお堂の格天井に描かれている。
地蔵堂の庇の下に木製の大きな大黒天がいる。
明治戊申の役の後の「函嶺戦(山崎の戦い)」で犠牲になった官軍の慰霊碑がある。

tokaido11-03.JPG  新道に合流する所に、
早川を分水した小田原用水取り入れ口が石垣造りで残っている。
「小田原用水は早川の水を取り入れ、
板橋見付から旧東海道を東に流れ江戸口見付の蓮池に至っている。
この小田原古水道は後北条氏時代に造られ、
城下御府内町々に引き分けて飲用に供したもので、
日本の水道施設の中で最も古いものと思われる」という。

 箱根登山鉄道の踏切を渡ると、日蓮の旧跡象ケ鼻がある。
日蓮が身延山へ往来の途次、故郷安房を望み亡き父母を偲んだ所という。
上まで登ると、小さなお堂に三体の仏像が安置されていた。雨のため房総までは見えなかった。

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 風祭にはいり、左に小さな「郷の詩」の石碑。
「舟を出して港も近き里の名は 白波の風祭かな 
行こうか板橋もどろか箱根 ここが思案の涙橋」。

 風祭八幡神社による。
山際の神社、社殿前に大きな溶岩でできた岩山があり、
その上にたてがみがカールした猿顔の「江戸なか」の小さな狛犬
いる。狛犬の足座には弘化2年(1845)と彫られている。

 風祭の一里塚の説明板があり、そこに道祖神が置かれてあった。

 駅を越え、国道沿いのラーメン屋で昼食。

 また旧道にもどり、入生田の長興山紹太寺の入り口にくる。
長い参道の奥に、春日局を母とする稲葉氏の菩提寺である藁屋根でこじんまりした清雲院が
ある。しだれ桜で有名。

 この先に山神神社がある。「山神は現在でも林業や石切を業とする人たちが祭るもの。
この入生田の古い生活形態も山仕事に従事することが多かったと思われる」と説明されている。

 国道と山の間の散策道をいく。

 国道と合流するところに「山崎古戦場」の碑がある。
ここで伊庭八郎などの浪士が幕府に殉ずる戦いをした。

 旧東海道は三枚橋を渡るのだが、箱根湯本駅の方向へいく。

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 駅を通り越して、旧道と国道1号との間の箱根湯本温泉街の
はずれの小高い所に熊野神社がある。
その階段の途中に「箱根温泉発祥の地」の石碑があり、
温泉の取り入れ口では湯が沸騰して流れている激しい音がしていた。

 この神社は「この温泉は奈良時代から知られていたが、
小田原北條の武将たちが早雲寺参詣のたびに、
ここで温泉に浴したので『北條氏の足洗いの湯』といわれてきた。
熊野を音読みにすると『ゆや』になるので、
温泉の神様として熊野権現から勧請し湯場の鎮守としてきたのが
この熊野神社である」。

 箱根湯本駅にもどり、乗車して帰宅。

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