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第13日  箱根〜三島              
           (元箱根)        
                      宿間の距離   14.8km      1997.11.22
               歩いた距離   23.7km      2000.02.12

 元箱根から三島までいくために、朝早く家をでる。

 小田急に乗って妻と今日の行程を話し合っていると、中年の女性が話しかけてきた。
彼女は日本歩け歩け協会の「東海道徒歩き」で、小田原に集合し2泊で富士までいくとのこと。
散歩を趣味とする人が多いのに驚く。

 湯本でバスに乗り、元箱根までいく。

 賽の河原には、地蔵信仰の霊地として多くの石仏や石塔がある。
「さいのかはらあり。右の方にて往来のともがら石をつみ念仏申して通る也」。

 向かい側の成川美術館の所に身代り地蔵がある。
「梶原景季(かげすえ)が箱根を通りかかり悪人に間違えられて襲われた時、地蔵が身代わりに
なって助けた」という。

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 箱根杉並木の中に、24番目の一里塚がある。

 この杉の並木は、元和4年(1618)に川越藩主松平正綱によって
植えられたものである。

 杉並木の尽きるあたりに新屋という町があった。
これは江戸から上方に向かう旅人が、手形の不備のため通行できず
手形再発行の手続きの間、逗留する必要から設けられた旅籠町である。
そこに「爪かきの杉」がある。
そこで手形を持たない旅人が思案にくれたという。

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 芦ノ湖が緑に映え、その奥に富士山が見えるはずだが、
天気が悪くて見えない。

 箱根関所と関所資料館を見る。

 関所を越えて到着した箱根の宿は「宿の様鄙びて、
湯本、畑の立場には及ばず」という町並みだったという。

 当時の本陣は「はふや」で現在の箱根ホテルである。
楓並木の名残の樹齢400年のものが一本だけ残っている。

 湖畔に箱根駅伝の終着点を記念したブロンズ像が立っている。

 宿をはずれ、左に「関白道」の碑がある。
「天正18年(1590)豊太閤秀吉が小田原城攻略の砌、新たに軍道として開鑿せる道路なり」
とある。

 国道と別れ、湖畔に沿った旧街道をいく。

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 箱根神社の末社の駒形神社がある。
雨模様で鬱蒼とした杉の木立の中で古さが強調されている。

 嘉永元年(1848)の風化した小型の「江戸なか」狛犬の姿も
寂しそう。
右に擬宝珠、左は角の跡がある。

 その先を左折するのが箱根峠への旧道で、芦川の石仏石塔群がある。
中には元禄10年(1697)のものもあり、苔むして草の上に立っているという。

 そこに石畳道が残っている。
寛永12年(1635)参勤交代の制度が整っていっそう交通が盛んになり、
延宝8年(1680)幕府によって完成したもの。

 国道の下をくぐり挟石坂を登っていくと、篠竹が茂っていた。
「これを刈て京都へ登し、煙管の羅宇に用ゆ。箱根竹とて名産なり」。

 箱根峠に着く。
ここは東坂と西坂の分岐点で、神奈川県と静岡県の境界である。

 道の駅「箱根峠」で山菜そばとおにぎりの昼食。 

 後はひたすら三島まで下り坂。芦ノ湖カントリークラブの脇の道をはいり、国道と別れる。

 再び国道にでて左に接待茶屋跡、右に一里塚跡。

 この接待茶屋は「文政3年(1820)頃江戸日本橋呉服町の綿糸問屋の中村友隣の寄付により、
ここと畑宿と中山道の碓氷峠、和田峠の4箇所に接待茶屋を設け、
通行の旅人に一椀の粥、牛馬には一桶の燕麦を施行した」といわれている。

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 再び旧道にはいる。甲石坂という。

 徳川有徳公(吉宗)遺跡、秀吉にまつわるかぶと石、念仏石。

 石原坂(石割坂)には石畳が残っている。
篠竹と灌木が道の両側から迫っており細い道となっている。

 民家のある所にでる。

 国道を越えて旧街道は、杉並木の中の石畳が復元された道となる。

 徳利と杯を浮き彫りにした雲助徳利の墓がある。

tokaido13-05.JPG tokaido13-06.JPG  国道にでると、諏訪・駒形神社があり、
ここが山中城址である。
山中城は北条氏が永禄年間(1558-)に
築城した中世最末期の山城である。
空堀の底に畝を残した畝堀障子堀
あるが、これで敵兵の行動を阻害する
という北条流築城術の一端を示すもの
である。
しかし秀吉軍に一日で落とされた。

 この山頂からの富士山の眺めは格別である。
平成12年にきた時は箱根の山波の上に富士山の全貌を見ることができた。

 隣に秀吉、北条両軍の死者を葬った宗閑寺がある。

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 再び石畳の旧道にはいる。新しい歌碑「箱根八里記念碑」があり、
まずはじめが司馬遼太郎の「幾億の跫音が坂に積もり 吐く息が谷をうめる
 わが箱根にこそ」。

 上長坂を通ると富士見平ドライブインがあり、
そこに大きな芭蕉句碑「霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ面白き」がある。
まさに今日の様なことだが、だんだんと雲も少なくなり、
伊豆の山が雲の上にかすんで見えるようになってきた。

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 笹原新田。牛馬頭観音と書かれた珍しい石碑が小屋の中にある。

 27番目の笹原の一里塚がある。
こんもりした塚の上に大岡信の歌碑
「森の谺を背にこの径をゆく 次なる道に出会うため」。

 国道を横切ると下長坂で、別名「こわめし坂」という。
「急勾配で背に負った米も人の汗や温気で蒸されて、強飯のようになる」と
いわれる箱根旧街道第一の難所。

 三ツ谷新田に山神社、天神社がある。
昭和16年(1941)の出征馬供養塔があり、この地から供出していたのか。

 坂小学校の前にかつて妙法華寺があり、それからつけられた法華坂(題目坂)がある。
そこに足利尊氏建立の七面堂旧址の石碑がある。
碑の横に「あしかがのぶしやうのたてしなにめでて しちめんどうといふべかりける」の
東海道中膝栗毛の狂歌が書いてある。

 坂を下ると出征馬記念碑。

 山のそま道のような旧街道をいく。臼転坂という急坂。馬頭観世音と小さな石仏碑。

 バイパス合流点に大きな「箱根路」石碑。

 国道の横に石畳の歩道が整備されている。初音原の松並木に28番目の錦田の一里塚がある。
右は松と榎、左は榎のみごとな一対。

 愛宕坂が最後の急坂である。JR東海道線の踏切を越え、大場川を新町橋で渡る。
ここが三島宿の東見付である。

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 右に少し入ると六所王子神社

 右からウン・アの笑っているような昭和2年(1927)の「江戸くずし」
狛犬。左の狛犬の足元にボタンの花。

ここは長谷(ちょうや)といい、伊豆の国府のあった所。

 三島神社にたどり着く。伊豆の一宮である。暗くなってしまったので神社の中には入らなかった。

 駅の近くの和食「高田屋」で、かさごの天ぷらで夕食。

 三島駅から乗車して、帰宅。

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