その先を左折するのが箱根峠への旧道で、芦川の石仏石塔群がある。
中には元禄10年(1697)のものもあり、苔むして草の上に立っているという。
そこに石畳道が残っている。
寛永12年(1635)参勤交代の制度が整っていっそう交通が盛んになり、
延宝8年(1680)幕府によって完成したもの。
国道の下をくぐり挟石坂を登っていくと、篠竹が茂っていた。
「これを刈て京都へ登し、煙管の羅宇に用ゆ。箱根竹とて名産なり」。
箱根峠に着く。
ここは東坂と西坂の分岐点で、神奈川県と静岡県の境界である。
道の駅「箱根峠」で山菜そばとおにぎりの昼食。
後はひたすら三島まで下り坂。芦ノ湖カントリークラブの脇の道をはいり、国道と別れる。
再び国道にでて左に接待茶屋跡、右に一里塚跡。
この接待茶屋は「文政3年(1820)頃江戸日本橋呉服町の綿糸問屋の中村友隣の寄付により、
ここと畑宿と中山道の碓氷峠、和田峠の4箇所に接待茶屋を設け、
通行の旅人に一椀の粥、牛馬には一桶の燕麦を施行した」といわれている。 |