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第14日   今市〜東照宮 (その1) 

             歩いた距離  17.0km      2007.04.14

               

nikko14-01.JPG  今日もいい天気である。
 朝食前に、宿の近くを散歩する。

nikko14-02.JPG  日光道中の起点である神橋は、
橋桁以外は朱に塗られていて、
大谷川の青、樹木の緑と映えている。
 この橋は国の重要文化財に指定されていて、
山口の錦帯橋、山梨の猿橋とともに、日本3奇橋のひとつである。

nikko14-03.JPG  近くに板垣退助の大きな銅像がある。
 「明治元年(1868)戊申戦争の際、新政府の将として、
日光廟に立てこもった大鳥圭介らの旧幕府軍を説得して、
日光の社寺を兵火から守った」という遺徳をたたえたものである。

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 東照宮の近辺の落ち着いた道を散策する。

 大きな常夜灯がある。
 家康によって、甲斐国境など関東の治安警備に
当てられていた八王子千人同心が、日光廟が造営された後、
明治になるまでの200年以上にわたって、
日光東照宮の防火と警備の任についていたことを
顕彰した常夜灯である。

 宿で朝食をとり、荷物は宿に預けて、日光道中の散歩の続きをする。

nikko14-05.JPG  神橋からバスでJR日光駅に行き、乗車して、
今市で下車する。

nikko14-06.JPG  昨日は暗くなってきたので、急いで通り過ぎた追分にいく。
 日光道中と例幣使道との分岐点である。
 両街道とも杉並木である。

nikko14-07.JPG  ここにある追分地蔵にいく。
 この地蔵は、丸彫り石地蔵としては、東日本有数の巨像で、
「八代将軍吉宗の日光社参の時には、すでに現在地にあった」
という。

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 東武下今市駅を通り、近くの報徳二宮神社にいく。
 「尊徳は嘉永6年(1853)徳川幕府の命をうけ、
旧日光神領地の開拓事業にあたったが、
安政3年(1856)、事業半ばにしてこの地で逝去した」。
 そのことを記念して造られた神社である。
 同名の報徳二宮神社が東海道の小田原にあった。
 小田原は二宮尊徳が生まれたゆかりの地である。

 明治42年(1909)の「江戸くずし」狛犬がいる。

nikko14-09.JPG nikko14-10.JPG  学校などで見慣れた青銅製の尊徳像がある。
 また、尊徳の翁像がある。

nikko14-11.JPG  拝殿の裏には、尊徳の墓がある。

nikko14-12.JPG  隣の如来寺にいく。
 家光や家綱の日光社参の時、宿泊所としたところである。
 ここには、尊徳の位牌があるという。

 国道119号にでる。今市の繁華街である。

 右の浄泉寺にいく。

 境内に、子育ての沢像司(たくぞうす)稲荷がある。
 この稲荷社は二宮家の信仰が篤く、尊徳の子孫が中心になって稲荷を維持する費用を得るため、
基金をつくり貸し金の利息を充てたという。

 境内の聖徳太子堂の前に小型の「江戸くずし」の狛犬がいる。

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 左に、今市総鎮守の瀧尾神社がある。
 天応2年(782)勝道上人が、
日光二荒山大神を祀ると同時に、
ここに神社を祀ったものである。

 今日は春の例大祭で、
氏子など数十人が紋付き羽織で正装して
街を練り歩くところである。
 社宝の山岡鉄舟が書いた大幟(のぼり)
が掲げられている。

nikko14-16.JPG nikko14-15.JPG  大鳥居のところに、
天保7年(1836)の「尾立」の狛犬がいる。
 右アは二段角、左ウンは擬宝珠である。
 全体にデブで、長四角の石を削って
作られたようで、尾の後、後脚の横、
前脚がまっすぐつったっている。
「江戸尾立」ともちがう。

nikko14-17.JPG nikko14-18.JPG  大正2年(1913)の「江戸くずし」
狛犬
がいる。
 高い石組みの上に台座が置かれて
座っている。
 前の「尾立」とは一見ちがうが、
頭が大きくデブであり、
姿勢が縦に高いのは同様である。

 平成2年(1990)の御大典記念の「ブロンズ」の狛犬がいる。「招魂社」の形であるが、印がない。

 拝殿に、日清戦争やシベリア出兵の凱旋記念の大きな扁額がかかっている。

 ここから国道119号に沿った杉並木をいく。
 断続的に、日光まで続く並木道である。

 右に杉並木公園がある。大きな水車が多く集められている。

 高尾神社がある。今市には同名の神社が15社あり、そのうちの最古のものであるという。
 明治44年(1911)の「江戸くずし」狛犬がいる。右アの子狛が親の足をくわえている。

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 瀬川の一里塚がある。
 日光道中最後のものである

 左右とも石垣の上に杉が残っている。

nikko14-22.JPG  杉並木をいく。
 人家があるところは石畳になっている。

nikko14-21.JPG  右に、砲弾撃ち込み杉がある。
 「戊申の役のとき、官軍が日光に拠る幕府軍を攻撃した際、
この付近で前哨戦が行われた。
 この杉の凹んでいるところは、砲弾が当たって破裂したところである」。
 確かに幹に古い傷があるようだが、それなのか。

nikko14-23.JPG  右に、樹高38mもある並木太郎がある。
 杉並木の中で一番大きな杉であるという。

 七里というところに、明治天皇小休所がある。
 明治9年(1876)、東北地方を巡幸される途中で、日光に寄られたときのものである。

nikko14-24.JPG  左に異人石がある。
 「明治の頃、杉並木を愛した外国人が、
この石を石屋に頼んで座りやすくしてもらい、
毎日ここで並木を鑑賞した」という。

nikko14-25.JPG  JR日光線のガードをくぐると、JRの日光駅があり、
その先に東武日光駅がある。

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 この辺りから商店の多い街並みになる。

 日光道中最後の宿、鉢石である。

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 日光道中の最終地点である神橋につく。

 ここで日光道中の踏破を祝って、次女が迎えてくれた。
 平成11年(1999)10月に東海道を踏破したとき三条大橋で、
札幌の義母と娘たちが迎えてくれたことを思い出し、感激である。

 一緒にステーキハウス「みはし」で昼食をとり、午後は東照宮中心に見物する。

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