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第2日 荏原中延〜武蔵中原 (その1)

                  歩いた距離  13.5km  2001.08.13

 大岡山で目蒲線に乗り換え、荏原中延で下車し、中原街道に出る。
 中延の商店街を横に見ながら、西に進む。
 環7通りを横切る。

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 洗足池に来る。

 日蓮上人が弘安5年(1282)身延山から
常陸の国に向かう途中、袈裟を松に懸けて
この池の水で足を洗ったと伝えられている。
この松を袈裟懸けの松といい、
この池を洗足池という。

nakahara2-04.JPG  妙福寺の中の袈裟懸けの松のそばに、
天保11年(1840)の馬頭観音がある。
道標を兼ねており、「北 堀之内 碑文谷道」、「東 江戸 中延」、
「南 池上 大師道」、「西 丸子 稲毛」と4面に彫られている。 

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 池畔には勝海舟が別邸「洗足軒」を造り住んだことで、
夫妻の墓所がある。

 その隣に留魂祠がある。
「海舟が南州西郷隆盛を追慕のため南州の漢詩を
建碑され、留魂祠を建立せられました」と書かれている。

 また池畔に「旗上げ八幡」といわれる千束八幡神社がある。

 「治承4年(1180)頼朝、石橋山の合戦に敗れて安房に逃れた後、再挙して鎌倉に向かう途次、
ここ台地に宿営本陣として諸豪の参集を待った」ところという。

 唇が厚く耳が後ろに下がった、左ウンが前歯を見せている
天保8年(1837)の「江戸」狛犬がいる。

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 中原街道を西に行く。

 右に「庚申塚」と書いた庚申塔がある。
「角柱型に文字を刻んだ庚申供養塔は
江戸時代後期によく見られるもの」である。
「従是先九品佛道」と記されており、
奥沢の淨真寺への道しるべを兼ねている。

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 街道を左に入り池上線を越えて、
永禄年間(1558〜70)に創建された雪が谷八幡に行く。

 尾が5本くらいに分かれた昭和18年(1933)の「しょうわ」の
狛犬が社殿の前にある。紙四手(しで)のついた注連縄を
首に巻いている。

 脇山門に明治29年(1896)の唇が波うっている
「江戸尾立」の狛犬。石工は松原○太郎で、角がある。

nakahara2-10.JPG  境内に雪ヶ谷村民によって建てられた
庚申供養塔が7基置かれてある。
天和元年(1681)のものがもっとも古く、元禄、享保、明和、
安政のものである。
青面金剛は合掌しているだけのシンプルな姿がはっきり
していて、三猿の姿も似ている。

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 街道にもどると、呑川の清流復活の碑の横に安永3年(1774)の
石橋の無事と通行人の安全を願った石橋供養塔がある。

 環八通りを越えたところで道を分かれ、旧道を行く。
道は住宅街のゆるい登りで、桜並木になっている。
登りつめたところに、赤い欄干の橋がかかっている。
ここが桜坂である。桜の時期はきれいであろう。

nakahara2-12.JPG  「六郷用水の跡」と書かれた碑がある。
川が石積みできれいに整備され、
ジャバラ(足踏み水車)の模型が設置され、
老人たちが木陰のベンチで話をしている。

 多摩川を見下ろす小高い丘の上に、浅間神社がある。
この神社は、北条政子が夫頼朝の武運を祈って富士吉田の浅間神社に祈ったことが
始まりであるという。

 狛犬「江戸」で唇が厚く、顔が上下にひっしゃげた様な「溝の口系」の狛犬で、
石工は松原延太郎である。右アに子狛がいて、その子狛が玉で遊んでいる。 

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 昔の多摩川の渡しを探すがわからず、
土手に上がって丸子橋で多摩川を渡る。

(東京の散策「目黒・田園調布コース」で「丸子の渡し」
場所を見つけました。)

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