もどる foot_linehidari.gif iconhoum1.gif  icon2133.gif foot_line.gif すすむ

第1日 虎ノ門〜荏原 (その2)

          (歩いた距離  14.7km  2001.08.11)

 品川区に入ると雉子神社がある。
「徳川家康が鷹狩りの折りに一羽の雉が社地に飛び入ったのを稀なめでたい印である」として
名付けられたという。中原街道(国道1号)の改修により、ビルの中に入っている。

 唇が厚い、おかっぱの元治元年(1864)の「江戸」狛犬がいる。
左右共に子狛がいて、一人前の表情をしている。

 社殿の脇の築山に、ひっそりと先代化したトラが置かれている。

nakahara1-13.JPG nakahara1-12.JPG

nakahara1-14.JPG  五反田にくる。
 駅前で国1と別れ南側の中原街道を行く。
JR山手線の内側の近代的なビル群に対し、
ガードをくぐった外側は看板が雑然とした商店街である。

nakahara1-15.JPG

 山手通りを越した辺りで、旧中原街道は中原街道と分かれる。
 高速2号線をくぐってから、細い旧道が1キロぐらい残っていて、
「旧中原街道」と道路標示が出ている。

 その旧道に入ってすぐの角に、享保12年(1727)の「子別れ地蔵」がある。
そこで分岐した道が桐ヶ谷斎場に続く道筋で、
「子に先立たれた親がその亡骸を見送った場所である」という。 

nakahara1-16.JPG

 旧道には、二カ所に「旧中原街道供養塔群」があり、
品川区の文化財に指定されている。

 第一のものは「地蔵など江戸中期からの庶民の信仰状況を示すもの」
であるが、元文元年(1736)の馬頭観音があり、
「この頃戸越本村に馬持講があったことを示す」と書かれている。

nakahara1-17.JPG nakahara1-18.JPG  その先にある第二のものは、
6基の供養塔のうち
3基が庚申塔で寛文6年(1666)、
延宝元年(1673)、
宝暦4年(1754)建立のもので、
三猿だけが浮き彫りになっている。

nakahara1-19.JPG

 旧道が中原街道に合流する手前に、
「座敷箒 スダレ店」と大きな看板が掛かった店があった。

 荏原警察の辺りで街道から右に入り、
荏原神社を探して行くが見つからなかった。

 東急の大岡山に出て、帰宅。

もどる foot_linehidari.gif iconhoum1.gif  icon2133.gif foot_line.gif すすむ