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第3日  (矢板)〜佐久山〜大田原  

                 歩いた距離 16.9 km     2008.10.18

                

osyu3-01.JPG  前回の散歩で子どもたちと合流した
佐久山まで行くために、
宇都宮線の矢板駅を10時01分に下車する。

 佐久山は鉄道とバスの便が悪いので、歩いていくことにする。

 駅前から国道4号線にでて、すぐ52号線の矢板馬頭線で佐久山に向かう。
 佐久山までは、今日の予定である大田原までのほぼ半分の距離である。

osyu3-03.JPG  矢板の街をぬけ、
稲刈りが終わった田の中の道をいく。

osyu3-04.JPG

 左の山すそに湯泉神社がある。

 平成3年(1991)の「新しょうわ」狛犬がいる。
今上天皇御即位記念に寄贈されたものである。

 地面に直接「先代」狛犬が置かれている。
小型の「構え」で、後足を立てて構えている。
対になっていて、欠けているところもないようで、
もったいない限りである。

osyu3-08.JPG  原街道の説明版がある。
「白河から氏家へ至る道を会津藩主の保科正之が開いた道である。
奥州街道の脇街道として、廻米輸送を主な任務とした」。

 大田原市にはいる。
 山の中の坂がくねった道が続く。

osyu3-05.JPG  平地に出ると、左に温泉神社がある。
 長い参道を行くと木造の小さな社殿がある。
 鳥居に注連縄が懸けてあるが、左右から下げて中程でしばってある。
その結び目が人の丈ほどであるので通りにくいが、
ここではそのようなやり方のようだ。

 ようやく奥州道中である旧陸羽街道に出る。

 佐久山の宿に入る。
 寺以外は大きな建物がなく、小さな宿であったようだ。

osyu3-07.JPG osyu3-06.JPG  大きな造り酒屋の白壁の倉庫が目立つ。
銘柄は友白髪である。

左は小高い山で、佐久山城跡が御殿山公園になっているという。

osyu3-09.JPG

 箒川を岩井橋で渡る。

 河原にはアユをとる、観光ヤナの小屋が見える。

 与一卵とかかれた看板がでている。鶏卵にまで与一の名を使っている。

 人けのない道を歩く。

osyu3-10.JPG osyu3-11.JPG  松の緑と熟した柿の色が
きれいである。
 落ち着いた民家が多い。

 湯殿神社がある。
 杉並木の長い参道がある。
 大正8年(1919)の「江戸」狛犬がいる。
小型で、右からア・ウンで、ドングリ目でひょうきんな顔である。
前脚に体重がかかっている姿勢である。

osyu3-12.JPG osyu3-13.JPG osyu3-14.JPG

 右に、蒲蘆碑がある。
 土地の人は蜃気楼のことを蒲蘆(ほろ)とよぶようである。
「文化9年(1812)に、那須野に兵士の一団が行進する蜃気楼が現れた。
それを見た行脚僧が蜃気楼の有様と蒲蘆の意義を書き残したという」。
 それが、碑の原文である。

 「軍馬忠霊の碑」がある。

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 大田原市街にはいる。

 百村川に沿っていく。
家が点在し、田が広がっている。

osyu3-16.JPG  右折し、薬師通を行く。

osyu3-17.JPG osyu3-18.JPG  市の文化財である、薬師堂がある。
 境内には、石造の七重の塔がある。

osyu3-19.JPG  信用金庫の前に「幸矢の与一像」がある。

osyu3-20.JPG  商店の前に、背丈以上もある大きな銅の灯籠がある。
 大田原のシンボルである金灯籠で、バス停の名前にもなっている。
 この灯籠は道標も兼ねていて、台石に上町、江戸、白川とかかれている。

 バスがきたので飛び乗って、西那須野駅まで行く。

 西那須野駅で乗車して、宇都宮で乗り換えて、帰宅。

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