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第4日   大田原〜芦野  

             歩いた距離 21.6 km       2008.10.26

               

 今回の散歩は、途中の芦野で1泊して、奥州道中の終点、白河まで行くことにする。
 つくし野を5時34分の始発電車に乗り、渋谷、池袋、赤羽、宇都宮で乗り換えて、
9時01分、宇都宮線の西那須野で下車する。

 

 西那須野駅でバスに乗って、前回バスに乗った大田原の中央1丁目まで行く。
 金灯籠の交差点まで歩き、そこで右折して、お城山通りを行く。
 日曜日なので、商店街はあまり人気がない。

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osyu4-03.JPG  左の丘に、大田原神社がある。
 かつて、大田原の城郭内に祠があったが、
明治37年(1904)に現在地に遷されたもので、
大田原の総鎮守である。
 長い石段をのぼると、また長い参道である。

osyu4-05.JPG osyu4-04.JPG  参道には、
台座の上に置かれた岩に
「構え」の狛犬がいる。
 右はアで角があり、
左はウンで角はない。
 昭和15年(1940)で、
皇紀2600年を念して
奉納されたものである。

 その奥に、大正9年(1920)の「江戸」狛犬がいる。
 まゆ毛が長い。

 境内に石灯籠がある。
 宝暦12年(1762)である。寄進者が江州日野の中井氏である。
「江州商人の中井氏が大田原を拠点として、商圏を北関東、東北に拡張していった。
その過程を示す」ものである。

 境内に、三峯神社が祀られている。
 「オオカミ」の狛犬がいる。
 前脚が長く、全体にスマートで精悍な感じがする。
左右とも、口が長く前に出ていて、眼が大きく、耳は聞き耳を立てているようだ。
右のアは開けた口のキバが鋭い。
 昭和25年(1950)で、石工は鈴木石材店である。

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 小型の「招魂社」の狛犬がいる。
 ヒゲが前掛けのようになり、眼はドングリで、口が波打っていて、ひょうきんな顔である。
右アの石工は松本末吉、左ウンの石工は4代目倉田○である。
建立は、昭和12年(1937)7月19日で同じである。
左右の石工の名が違うのは、初めて見た。

 境内に、稲荷社もある。
 昭和8年(1933)の「キツネ」がいる。
 尾が大きく、立っている。
 右アは、鋭いキバがみえ、ほほや鼻が口の動きによって深いしわができていて
恐ろしい顔である。
 左ウンは、耳も寝ていて、柔和な顔である。
子キツネがオッパイを飲んでいることからも、雌であることがわかる。

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 隣に、大田原護国神社がある。
 昭和16年(1941)の「江戸くずし」の狛犬がいる。
 顔と目が大きく、ぶさいくである。左ウンには、前脚と背中に子狛がいる。

 蛇尾橋で蛇尾川を渡る。
 左折し、旧陸羽街道を北上する。

 味噌でも「与一みそ」で売り出しているようだ。

osyu4-11.JPG 中田原の一里塚がある。

 

 342号線との追分道標が立っている。
 「之より左 奥殊道、之より右 たなくら」と彫られている。
 ここは、「寛永6年(1629)『紫衣事件』によって、
僧沢庵と玉室宗柏が流人として一緒に護送されてきたが、
この追分口で沢庵は奥州路、玉室は棚倉へと袂を分かった」ところである。

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osyu4-14.JPG  天然記念物のコウヤマキがそびえている。
 樹齢380年で、奥州道中の三槇の一つであるという。

 那須の山を左に見ながら、市野沢、練貫など農村の道を北上する。
 弘法大師の「蓑に沿う 市野沢辺の ほたる哉」の句碑が立っている。
 十九夜塔の横に、「右 奥州海道」と刻まれた道標がある。この文字も使われていたようだ。
 那須塩原市にはいる。
 平成17年(2005)に、黒磯市と西那須野町、塩原町が合併して誕生した市である。 

osyu4-16.JPG  左に、桶沢神社がある。
 境内に源義家の愛馬のひずめ跡がついた石がある。
「後三年の役で陸奥平泉へ向かう八幡太郎義家が、
戦勝祈願に馬で丘を一気に駆け上がったときに、
巨石に前脚の蹄の跡が刻まれた」という伝説がある。

osyu4-17.JPG  そこに、六面幢地蔵があった。

 鍋掛の宿があり、一里塚がある。

osyu4-18.JPG osyu4-19.JPG  左に八坂神社がある。
 芭蕉の
「野を横に 馬牽きむけよ ほととぎす」の
句碑が立っている。

 那珂川昭明橋で渡る。
 橋の欄干には、アユのレリーフが貼られている。
 川の中で、つり人がアユを釣っているようだ。

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osyu4-22.JPG  川を越えると越堀宿にはいる。

osyu4-23.JPG  浄泉寺の境内に、黒羽領の境界石がある。「従此川中 東 黒羽領」。

osyu4-24.JPG osyu4-25.JPG  参道に、昭和15年(1940)の
「江戸くずし」の狛犬がいる。
 右アは大きなキバがあり、
左ウンは歯が抜けて
しわくちゃの口をしている。
 紀元2600年記念のものであり、
また、奉納者が
昭和12年(1937)に出征し、
15年に無事帰還した
記念のものである。

 軍馬の慰霊碑がある。

osyu4-26.JPG  刈り終わった稲田の中の道を進む。
 小さな馬頭観音がある。

 緑の中の坂を上り、富士見峠を通る。
 それほど高い峠ではないが、ここから富士山が見えたのだろうか。

 寺子一里塚公園がある。
 平成7年(1995)に、復元されたものだが、きれいな公園に整備されている。
 奥州道中42番目の一里塚である。

 公園の中のベンチに座っていたおばあさんと話しをする。

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 那須町にはいる。
 人家のない、山と畑の道を進む。
 ようやく芦野にくる。

osyu4-30.JPG  水田の中に大きな石が置かれている。
 夫婦石神社である。

 夫婦石の一里塚がある。

 旧陸羽街道から左に分かれ、西坂をのぼって、
今日の宿泊地である芦野温泉ホテルに向かう。
 ホテルには、多くのテニスコートなど運動施設がある。
グループで合宿しているようで、宿の中は元気のよい中年の人が多かった。

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