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第5日   北越谷〜東武動物公園 (その1)  

             歩いた距離 22.7q    2005.05.04

 東武伊勢崎線の北越谷駅で下車する。 

nikko05-01.JPG  日光街道を少し戻り、大沢香取神社にいく。
参道が長い神社である。
 鳥居脇に「江戸尾立」の狛犬がいる。
 右からウン・アで、耳が大きく後に寝ているので、
穏やかな表情になっている。

 

nikko05-02.JPG nikko05-03.JPG  参道の途中に、安永9年(1780)の
「江戸尾立」の狛犬がいる。
 右アは口が前に出ていて、
目が横に大きく、左ウンは牙があり、
目が飛び出していて、
右と左の狛犬の雰囲気がちがう。

nikko05-04.JPG nikko05-05.JPG  拝殿の前に、天保6年(1835)の
「江戸」狛犬がいる。
 尾は大きな固まりをつくってから
前に流れている。
 前脚がひもでしばられていて、
久伊豆神社と同様「足止め狛犬」
なっている。

 奥殿の横に、文化8年(1811)の「江戸尾立」の狛犬がいる。小型で尾はうちわ状である。
右アは擬宝珠、左ウンは二段角である。

 奥殿は、慶応2年(1866)建造のものであるが、
「当時越谷・大沢は商業都市として、とくに紺屋業が盛んであったので、奥殿北面の一部には
紺屋の労働作業の有様が刻まれている」。

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nikko05-08.JPG

 北越谷駅の先で高架の線路をくぐる。

 元荒川が蛇行して道に近づいてくるが、
この辺りが宮内庁の鴨場になっている。 

 香取神社がある。庚申塔、馬頭観音、猿田彦の庚申塔がある。

 東武線を踏切で渡る。 ひたすら北上する。 広い道と合流する。

nikko05-09.JPG  せんげん台駅入り口を通りすぎ、狭い新方川の戸井橋を渡り、
春日部市にはいる。

春日部市:マンホール

nikko05-10.JPG  右に雷電神社がある。
狛犬もいなくて変哲もない神社だが、
赤い鳥居の一番上の笠木の屋根が瓦で葺いてある。

 右に「備後の一里塚跡」の碑がある。

 大落古利根川(おおおとしふるとねがわ)が蛇行して近づいてくる。

 東武野田線のガードをくぐる。

 小さな八坂神社がある。猿田彦大神とかかれた庚申塔があり、
三猿が向き合った格好になっている。

 駅前通りとの交差点に東陽寺がある。
 その境内に、奥の細道に同行した曽良の「弐七日夜カスカヘニ泊ル 江戸ヨリ九里余」
という日記の一節が書かれた大きな石碑がある。

 右の方に参道があり、東八幡神社である。
 文久3年(1863)の「江戸」狛犬がいる。右アが雌で、子狛がオッパイをくわえている。
 左ウンにも子狛がいる。石工は宮仙蔵である。
 境内に小さな川久保雷電神社があり、小さな獅子山の狛犬が「先代」化している。

 駅前の道をいく。

 白壁の旧家の田村家がある。その前に天保5年(1834)の大きな道標が立っている。
「西南いわつき 東江戸 北日光」とかかれている。

 この辺りが粕壁宿の問屋場があった所である。

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 街道を離れ、春日部駅の前を通り、駅の西側に行って食事をとる。

nikko05-13.JPG

 東武野田線を踏み切ると春日部八幡神社がある。

 参道の入り口に「都鳥の碑」がある。
「平安初期に在原業平が奥州に旅したとき、
武蔵国と下総国との境にある隅田川の渡しで詠んだ
『名にしおはば いざ言問はん都鳥 わが思ふ人は
 ありやなしやと』で、当神社の辺りが両国の境であり、
奥州への道路にもなっていた」ということで、
嘉永6年(1853)に立てたものである。

 参道の途中にフェンスで囲まれた、明治20年(1887)の「獅子山」の狛犬がいる。
 千住の素盞雄(すさのう)神社の狛犬と似ている。尾は持ち上げて、流れている。
 石工は2代目岡山文吉である。

nikko05-15.JPG nikko05-14.JPG  社殿の前に文化13年(1816)の
「江戸」狛犬がいる。
 左右ともアである。

 この神社の隣に「浅間山」と呼ばれる高さ8.2メートル、周囲200メートルに及ぶ
富士塚がある。
 「毎年7月1日の初山には、市内各地より赤子を抱いた母親が子育ての無事を祈って、
この富士塚を訪れる」という。

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