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第4日   谷塚〜北越谷 (その2)  

             (歩いた距離 13.6q    2005.04.30)

 南越谷でJR武蔵野線のガードをくぐる。
 照蓮院がある。
 寺内に、「千徳丸供養塔」がある。
 「武田氏の家臣秋山長慶は天正10年(1582)、武田氏滅亡の際、
勝頼の遺子千徳丸をともなって、ここ瓦曽根村に潜居した。千徳丸は早世したが、
それを悲しんだ長慶は住職となってその菩提を弔った」。

nikko04-15.JPG  新道と旧道が分岐するところに里程標がある。
「東京雷門5里、大宮5里、鳩ヶ谷3里」と
書かれている。

 

 nikko04-16.JPG nikko04-17.JPG  左の旧道を行く。
 民家くらいの小さな旅館がある。
 薄茶色と漆喰の診療所
石造りの米店など落ち着いた
昭和初期の家が残っている。

nikko04-18.JPG  壁を黒く塗った倉のある呉服店の塗師屋があるが、
いまは営業していない。

nikko04-19.JPG  元荒川橋を渡らずに、
元荒川に沿ってを下って久伊豆神社に行く。
 途中に越谷御殿跡がある。
 「家康は奥州街道を公道に指定し、
越谷を宿に取り立てました。
 民情視察をかねて鷹狩りを行い、
しばしばこの御殿に泊まりました」。

 ここにある用水は葛西用水といわれ、羽生市の本川俣で利根川から取水され、
元荒川、古荒川を結んでいて、草加から足立までの水田を潅漑していたもので、
逆川になっている。
 矢倉沢往還を歩いたとき海老名でも逆川があり、その説明を見た。

nikko04-20.JPG  建長元年(1249)の板碑がある。
「市域では最古のものであり、
その高さ155cmは最も大きなものである。
板碑は塔婆でもあるので板石塔婆とも呼ばれている」。

 

 nikko04-21.JPG  新宮前橋を渡る。
 久伊豆神社がある。
 長い参道を行く。
 途中に庚申塔がある。庚申と大きな字が彫られ、
三猿が烏帽子をかぶり着物を着て、踊っている。
 このような庚申塔は江ノ島の群猿が神をたたえて
祝っている「群猿奉賽像庚申塔」以来である。

nikko04-23.JPG nikko04-22.JPG  拝殿の前に文政10年(1827)の
「江戸」狛犬がいる。
 右アは雌で、子狛が
おっぱいを手で押さえている。
 左ウンは玉を持っている。

nikko04-25.JPG nikko04-24.JPG  拝殿の縁には享保7年(1722)の
「はじめ」狛犬がいる。
 右アは牙があり、尾は平たく背に
ついている。左ウンは角があり、
小さな尾が立っている。
 左右の狛犬の前脚には麻のひもが
巻き付けてあった。
「家出をしたり悪所通いを
する者に対して、家族が狛犬の足を
結ぶことで必ず帰ってくるといわれ、
『足止め狛犬』といわれている」。

nikko04-26.JPG nikko04-27.JPG

 池畔に、国学者で幕末の
尊皇攘夷運動に影響をあたえた
平田篤胤の仮寓跡「松声庵」
ある。
 篤胤はここの藤を愛したと
いうことだが、今日はたまたま
藤祭りで大変な人で
にぎわっている。

 住宅地の中を通り、北越谷で乗車して、帰宅。

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