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第23日 大井(恵那)〜大湫(おおくて)〜細久手(その2)
         
宿間の距離 13.7km+5.9km    10.10.5

              歩いた距離 19.2km

naka23-54.JPG  十三峠の巡礼水がある。
 旅の母娘の巡礼がここで病気になったが、
念仏によって目の前の岩から水がわき出し
命が助かったと伝えられる。

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 ここにも太田南畝の石碑がある。

 その上段に宝暦7年(1757)の馬頭観音が祀られてある。

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 「びあいと坂」の案内柱。

 太田南畝の
「中山道曽根松坂」の石碑。

naka23-58.JPG 「阿波屋の茶屋跡」の石碑。

 ここには、旅人の道中安全と十三峠で倒れた人馬の供養のため、
33体の観音像が石室に納められている。
 大湫宿の伝馬連中や幕府公認の定飛脚問屋により寄進されたものである。

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 尻冷やし地蔵が立っている。
「宝永8年(1711)伊勢の豪商熊野屋が、十三峠で急病になりました。
 ここの水を飲んで助かったため、
感謝して地蔵を建立したといわれている。」

 ここにも太田南畝の石碑がある。

naka23-61.JPG  太田南畝の
「中山道 しゃれこ坂(八丁坂)」石碑がある。

 「山の神坂」の石碑、「童子が根」の石碑。

 寺坂の石仏群があり、街道を見下ろしている。ここから大鍬宿の家並みが見える。

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naka23-64.JPG  大湫宿の道標が立っている。「是より東 十三峠」とある。

naka23-65.JPG  ここにも太田南畝の「中山道大湫宿」の石碑がある。

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 宗昌寺の石仏群がある。

 坂の下に人家があり、
静かな宿である。

 道は枡形になっている。

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 公民館の前に
「大湫宿」と書かれた常夜灯が立っている。

 「おもだか屋」、「問屋場跡」の案内板。

naka23-69.JPG  登録有形文化財である民家がある。
 白漆喰で瓦ぶき、1階2階とも全て連子格子の
落ち着いた家である。

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 大湫小学校が本陣跡であるという。

 皇女和宮御歌の石碑がある。
「遠ざかる都と知れば 旅衣 一夜の宿も 立ちうかりけり 
思いきや 雲井の秋 ぬぎかえて うき旅衣 袖しほるとは」

naka23-71.JPG  虫篭窓の家がある。

naka23-72.JPG  脇本陣跡は、草木の茂った石階段で
街道から少し引き込んだ門構えの
落ち着いた雰囲気である。

 右に、神明神社がある。石垣の段の上に、質素な本殿がある。

 鈴しょうわの狛犬がいる。右からア・ウンで、昭和61年(1986)である。

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naka23-76.JPG  下の段の境内に樹齢1300年という県天然記念物の大杉がある。

naka23-77.JPG  道中安全、病気全快の観音様としてしられている観音堂がある。
 絵天井が有名で、瑞浪市の文化財である。

naka23-78.JPG  境内に、
芭蕉の「花ざかり 山は日ごろの あさぼらけ」の句碑がある。

naka23-79.JPG naka23-80.JPG  庚申塔や笠懸の地蔵尊がある。

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 高札場跡が立っている。

「大湫宿」の石碑や
説明板がある
整備された一角である。

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 山道になる。

 小坂の馬頭様がある。

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 休憩所と案内板と
中山道の道標がある。

 ここに
大洞の馬頭様がある。

 太田南畝「中山道 二つ岩」の石碑、大洞の母衣岩と烏帽子岩。
大きな岩である。
 武蔵坊弁慶が旅の途中お手玉をして歩いたともいわれ、別名弁慶岩ともいう。

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 琵琶峠に向かう。

 岐阜県史跡になっている石畳道がある。
 説明板がある。
 昭和45年に確認され、
石畳や一里塚などを整備し、
江戸時代の当時の琵琶峠に復元したという。

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「東上り口」の石碑や馬頭観音がある。

naka23-91.JPG  峠の頂上には、皇女和宮の歌碑
「住み馴れし 都路いでて けふいくひ
 いそぐとつらき 東路の旅」と
馬頭観音が並んで立っている。

naka23-92.JPG  八瀬沢の一里塚がある。
 江戸へ91里、京都へ43里。
 琵琶峠の一里塚とも呼ばれていた。

 下りになる。「琵琶峠西の上がり口」の石碑。

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naka23-95.JPG naka23-96.JPG  バス停天神前の横に
「天神辻の地蔵尊」がいる。

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 「焼き坂の馬頭様」。

 「天神坂」の案内柱。

naka23-99.JPG  弁財天の池がある。池の端に案内板がある。
「池の中に弁財天の宮あり。カキツバタ、ジュンサイの自生地で、
弁財天は通常は琵琶を持った天女ですが、
ここは元文5年(1740)の八臂の立像が祀られている」。

naka23-100.JPG  奥之田一里塚がある。
 「一里塚は現在ではほとんど荒廃し、
瑞浪市のように連続した四箇所が
当時のまま残っている例は全国的にも稀です」。

naka23-101.JPG 「三国見晴し台と馬頭様」と書かれた案内柱と馬頭観音。

naka23-102.JPG  工場や民家がぽつぽつとある。

naka23-103.JPG naka23-104.JPG 「細久手宿高札場跡」の
案内柱があり、
細久手宿に入る。

naka23-107.JPG  「細久手宿」の案内板がある。

 「細久手ちょうちん祭」や「和宮行列」の様子がタイルに焼かれて、展示されている。
 船形の山車に提灯を飾り、お囃子を奏でる。
 観客は山車につけられたロープで、無病息災を祈り、山車をひく。

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naka23-108.JPG  その向かいが、きょう泊まる大黒屋旅館である。

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