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第23日 大井(恵那)〜大湫(おおくて)〜細久手(その1)
         
宿間の距離 13.7km+5.9km    10.10.5

              歩いた距離 19.2km

 今回は、大井から鵜沼までを2泊3日で歩く予定である。
 名古屋まわりで、JR中央西線の恵那駅で下車する。

 広い駅前通を横切り、旧道の中山道まで行く。

naka23-1.JPG  小さな津島神社がある。
 その由緒書に「大正7年(1918)、大井町に疫病が発生した。
 各戸より多数の人が津島神社総本社にお祓い祈祷をし、
御分霊を祀った」という。
 その左横に、明治39年(1906)大井、岩村間の
電気軌道の開通に尽力した浅見与一右衛門の顕彰碑があり、
右側には昭和8年(1933)国鉄明知線の実現に尽力した
古屋慶隆の像が立っている。

naka23-4.JPG  旧道を越えて行くと中山道広重美術館があるが、
寄らずに中山道を行く。

 旧道らしい商店街で、和菓子屋の前には看板と道標を兼ねた常夜灯がある。

 大きなサッポロビールの看板がかかっている店がある。

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naka23-6.JPG  中野村庄屋の家(本酒屋)がある。
 黒く塗られた壁で、格子があり、犬矢来がある落ち着いた
造りである。
 そこの説明板に、「文久元年(1861)の皇女和宮の東下の際、
岩村藩の代官が大湫宿の助郷村である野井村に強制的に
賄(まかない)役を申しつけました。
 それを不満とした百姓代の熊崎新三郎が、
この中野村庄屋に滞在していた代官の吉田泰三を斬りつけた
という事件があった」と書かれている。

naka23-7.JPG naka23-8.JPG  中野観音堂がある。
地域のお母さん達が清掃をしていた。
 その前に秋葉灯籠があり、
中野村高札場跡の案内柱が立っている。

naka23-9.JPG naka23-10.JPG  長島(おさしま)橋がある。
橋桁の上に常夜灯がついている。
 上町の観音堂がある。

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 ゆるい坂道を登って行く。

 振り返ると恵那山がゆったりとした姿で見える。

 西行硯水(すずりみず)公園がある。松や緑が豊かである。
 案内板に「西行が2度目の奥州旅の帰り、この地に3年間暮らしたといわれる」とある。
 西行の「道の辺に 清水ながるる柳かげ しばしとてこそ 立ちとまりつれ」の歌碑がある。

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naka23-14.JPG  現代的な常夜灯がある。

naka23-15.JPG  「西行塚」と書かれた道標の前の坂を上ると、
「歴史の道中山道」の案内板と「中山道大井宿」の説明板がある。
 「美濃を通る中山道には16宿あった。
 大井宿は、名古屋、伊勢に向かう下街道の分岐点に位置する
交通の要衝であり、中山道46番目の宿場として
41軒旅籠が立ち並ぶ美濃16宿中随一のにぎわいを誇った」。

naka23-16.JPG  踏み切りを通り、たんぼの中の道を行き、
中央自動車道のガードを潜る。

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 石畳道になる。

 十三峠の標示がある。
 大井宿から大湫宿まで3里半あり、そのほとんどが
上り下りの坂道の連続であり、その名を十三峠と
呼ばれている。
 碓氷峠、和田峠と並ぶ中山道の難所であった。

 ここを西行坂という。

naka23-18.JPG  馬頭観音像がある。

naka23-19.JPG  展望台から恵那山を眺める。

naka23-20.JPG  小高いところに西行塚がある。
 西行法師の供養のために造られたといわれる。
 頂上に、五輪塔がある。
 西行がこの地で入寂したという伝説が古くからある。

naka23-21.JPG  そこに、自然石の「西行の わらじもかかれ 松の露」
の芭蕉句碑がある。

naka23-22.JPG  槙ヶ根一里塚がある。
 県内の中山道に現存する7か所の一つである。

naka23-23.JPG  茶屋松本屋跡がある。かまど跡が残っている。
 ここは中山道槙が根追分で、付近に多くの茶屋があり、
槙が根立場と呼ばれていた。

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 中山道と伊勢参拝の下道の追分である。

 「右 西京、大坂 左 伊勢、名古屋」とかかれた道標が立っている。
 それには、鳥居が描かれて、その中に大神宮とかかれている。
 旅費や時間がない人はここで伊勢神宮を遙拝したという。

naka23-25.JPG  首なし地蔵が、瓦ぶきの小屋に入っている。
 確かに左側の大きな地蔵は首がない。
 「むかし2人の中間が、ここの松の木陰で休んでいると
眠ってしまった。しばらくしてひとりが目覚めてみると、
もうひとりは首を切られて死んでいた。
びっくりして見回したがそれらしき犯人は見あたらなかった。
 怒った中間は黙って見ているとは何事か」と腰の刀で地蔵様の首を
切り落としてしまった」という。
 村人たちは首を何度もつけようとしたが、つかなかったので、
首なし地蔵という。

naka23-26.JPG  乱れ坂を下ると小さな土橋の乱れ橋がある。

 このあたり、小さな棒杭が立っていて、案内柱になっている。
 「お継原坂」、「竹折村高札場跡」、「かくれ神坂」、
「平六茶屋跡」、「びいやと茶屋跡」。

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紅坂一里塚がある(江戸へ89里、京へ45里)。

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 木下の道は石畳になる。

 人家がある。自然石の中山道道標に「すくも坂」とある。

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 清楚な三社灯籠がある。

 二十二夜の石塔がある。

naka23-35.JPG  藤村高札場跡あり、説明板と復元された高札場がある。、

 民家の前に「深萱(ふかかや)の立場」の説明板がある。
 立場は宿と宿との間にある休憩所のことで、ここは大井宿と大湫宿の中間である。
がっしりした家屋がひとかたまりある。
 のぼりに「むかしや深萱十三峠 のぼりくだりの旅笠ぬいで 休むたて場や一里塚」とある。

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 人家の全くない道を行く。

 大きな自然石の
中山道の碑がある。

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 恵那市と瑞浪市の境である。

瑞浪市:マンホール

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石碑の先、車道を左へわずかにき歩き、右折し旧道を行く。

大久後の向かい茶屋跡の傍示杭が立っている。

 大久後観音坂と書かれた案内柱がある。

「歴史の道 中山道」の説明板がある。
「観音坂と馬頭様:大井宿と大湫宿の間の3里半(約13.5km)は、起伏にとんだ尾根道の連続で、
 『十三峠におまけが七つ』とも言われ、中山道の中でも難所の一つでした。
 ここは『観音坂』と呼ばれ、瑞浪市釜戸町に位置してます。
 坂の途中の大岩の上には馬頭観音像が立っています」。

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 「大久保の観音堂と弘法様」の
案内柱があり、
観音堂と弘法様がある。

 不動明王がいる。

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「刈安神社」の入口の石標。

 先に進むと、
「炭焼き立場跡」の
案内板がある。

 石畳道になる。

naka23-52.JPG  石碑に「十三峠の内 中山道樫ノ木坂」と書かれ、
太田南畝の壬戌紀行のこの辺りの一文が書いてある。

naka23-53.JPG  権現山の一里塚跡がある。両方の塚が残っている。
 江戸から90里、京へ44里である。

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