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第20日 上松〜須原〜野尻(十二兼)(その1)   10.05.30
          
宿間の距離 12.8km+7.2km 

                歩いた距離 27.3km

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 朝食の前に寝覚ノ床を見物し、旅館の近辺を散歩する。

 中山道をもどるようにして、寝覚ノ床美術公園へ行く。

 そこから木曽路美術館内を通って階段を下りて行く。
 途中でJRをくぐると、美術公園全体が見える。

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 寝覚ノ床は、木曽川の浸食によって花崗岩の壁が両岸に連なっている。
 水の青と木々の緑、岩の白が映えて美しい。

 寝覚ノ床には、浦島太郎伝説がある。
 太郎は海岸端でなく、木曽へ来て寝覚ノ床で玉手箱を開けたという伝説である。
 ここで初めて竜宮城に行った夢から覚めたので寝覚ノ床となったという。

naka20-4.JPG  竜宮城から持ち帰ったと伝わる弁財天を祀る
浦島堂がある。

 昨日通った中学校の前の旧中山道を通り坂を下って行き、国道29号線に出たので、
それを戻るようにして旅館に帰る。
 落ち着いた庭を眺め、冬にはここにもクマが出たという話を聞きながら、朝食をとる。

 朝歩いた、旧道と新道の交点まで行き、国道を歩き始める。

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 すぐに、木曽八景の1つ小野の滝がある。
 広重・英泉合作の浮世絵「中山道69次」に描かれている。
 明治42年(1909)に、鉄道の鉄橋が真上に架けられて、
往年の面影はなくなったといわれる。
 滝壺脇に不動尊のお堂が立つている。

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 木曽川を右にして国道を歩く。

 国道から左への細い道に萩原の一里塚跡がある。
塚は現存していないが、こんもりと土を盛り
跡碑とカエデの老木が雰囲気を残している。

 そこに面白い話が書かれている。
 一里塚に木を植えることになり、家康にどの木にしようか伺ったところ
「ええ木を植える」との答え。それが家臣には「えのき」と聞こえ、榎を植えた。

naka20-8.JPG  風越山のわき水と案内板が出ているので、
少し寄り道をすると「水場」があった。

naka20-9.JPG  再び国道に出ると正面に山が見える。風越山か?

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 すぐにJRをくぐり左の旧道へ、
案内板に従って旧道から国道を行く。

 JR倉本駅がある。一息休憩する。

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 JRをくぐって坂をのぼり旧道を行く。

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 かなり登ったと見え、JRの線路が下に見える。

 このあたり旧茶屋であったという民家があり、屋号の札をかけている家がある。

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 倉本庚申塔が立っている。
 普通は「庚申塔」と刻まれた塔が多いが、
この塔には薄い字だが「除三シ之罪」と書かれている。

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 山の中の草の坂を下り、JRをくぐり国道に出る。

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 倉本の一里塚跡の碑と説明板がある。

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 この辺り、国道と脇の旧道を右に左に交互に歩くようだ。

 右下の旧道へ入ったところに池の尻立場跡がある。

naka20-21.JPG  木曽川の向かいに桃山発電所がある。

naka20-22.JPG  大桑村に入る。

大桑村:マンホール

naka20-23.JPG  JR線路横に大きな桜の木がある。
 大桑村の天然記念物になっている
エドヒガン桜かと思ったが、
それは他の上郷地区にあるというので、違っていた。

naka20-24.JPG  国道から左に別れて、須原宿に入る。

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 「水舟の里」と書かれた案内板がある。「須原宿見取図」と説明が書かれた案内板がある。

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 大和屋という商店があり、
須原名物の桜の花漬けを売っている。
 めでたい席で出される桜湯のことである。

 すぐに幸田露伴の文学碑があり、
この地に旅し
旅館で桜の花漬けをすすめられたという、
出世作「風流仏」の一節が書かれている。

naka20-28.JPG  小さくてきれいな須原駅がある。

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 「高札場跡」の案内板があり、民家が並ぶようになる。

naka20-30.JPG  水舟がある。
 大木をくりぬいて
竹の水路によって水が注がれ貯められている。
 次に水溜があり、最後は流されている。
 須原宿は湧水が豊富で、
道ばたに17か所に水舟が置かれ、
現在5か所が残っているという。
 旅人の飲料や果物・野菜などを
冷やすのに使われているようだ。
 生花などが入れられているところもある。

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 本陣跡の案内板の出ている民家がある。脇本陣の西尾家が残っている。

naka20-33.JPG 「木曽のかけはし」の酒造業。
 酒樽が積み上げられ、
庵看板に大きな杉玉がつるされている。

naka20-35.JPG  その前に水舟があり、
子規の「寝ぬ夜半を いかにあかさん 山里は
月出つるほとの 空たにもなし」の
歌碑が立っている。

naka20-34.JPG naka20-36.JPG  通りに
黒い木でつくられた灯籠がある。
 須原甚句が動作つきで
書かれている。

naka20-37.JPG  清水医院跡がある。
 島崎藤村の「ある女の生涯」の舞台となった
医院の跡で、当時の建物は、現在、
犬山の明治村に移転保存されている。

naka20-38.JPG  この先の水舟では障子の桟を洗っていた。

naka20-39.JPG  このあたりは茶屋町で2階づくりの民家が続く。

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 「かしわや」の庵看板がでている
どっしりした2階屋がある。
 元旅篭という。

naka20-41.JPG  連子格子の民家もある。

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