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第19日 宮ノ越(原野)〜福島〜上松   10.05.29   
          
宿間の距離 7.0km+9.4km  

                歩いた距離 19.5km

 今回は、宮ノ越から大井までを、2泊で歩く予定である。
 前回歩いた原野駅で、中央線を下車する。

naka19-1.JPG  駅の横に落ち着いた雰囲気の八幡神宮がある。
 鳥居が四脚鳥居で、笠木が上方に反っている。

naka19-2.JPG  267号線に出て、歩き始める。本当に、田舎道である。

naka19-3.JPG  左に墓地があり、墓地の守護石神像が立っている。

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 中山道中間点の標示がある。京と江戸へ67里38町である。
 中央アルプス、木曽駒ケ岳が見える。

 細い旧道を行く。草が生えていてわかりにくく、中山道の標識をたよりに歩く。

naka19-55.JPG  木曽福島に入る。

木曽町福島:マンホール

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 薬師堂がある。小窓から覗いてみると、本尊は小さな薬師立像で、大きな十王像が並んでいる。

naka19-8.JPG  隣が手習い天神である。
 木曽義仲を養育した中原兼遠が、
義仲の学問の神として勧進したものと伝えられる。

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 JRを超える。

 この辺は旧道がなくなっているので、迂回することになる。
 駅をこえて、標識に従い歩き、国道19号線に合流したり、
旧道に少し入ったりを繰り返して進む。

 右側の川向うに福島中学校がある。

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 JRと木曽川にはさまれた道を行くと、国道をまたいだ巨大な冠木門がある。
 道案内に従い、左上に入ると、福島関所である。
 ここは、碓氷、箱根、新居とともに4大関所と称されたもので、
各藩境に見られる番所とは機能を異にし、「女改め」と「鉄砲改め」に重点がおかれていた。

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 明治2年(1869)廃関後、関所は取り壊されたが、発掘調査の結果復元されたという。
 隣に高瀬家資料館がある。関所番や生活に関わる道具が展示されている。
 また、この高瀬家は、島崎藤村の姉の園の嫁ぎ先で、
作品「家」のモデルとして知られていることから、藤村に関わる資料も展示されている

naka19-16.JPG  石段を下りて、街道にでて福島宿の中の道を行く。
 漆塗りの白壁の民家が並んでいる。
 メインの道以外は、狭い道幅の通りが縦横に走っている。

naka19-17.JPG  岩屋旅館の前を左折する。

naka19-18.JPG  高札場があり、実際の三分の二の大きさに縮小して、
天保9年(1838)の様子を再現している。

 「上の段」の説明板がある。
 このあたりの古い町並みが残る地区を上の段といい、「宿場は防塞の施設としても作られており、
道を「鍵の手」に折り曲げたり、急な坂道や道の両側に石垣を作ったり、
いわゆる「桝形」をもうけており、この地区にはその地形がそのまま残っている」。

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 江戸時代に掘られた井戸が保存されている。他にも水飲み場がある。

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 宿の中を歩いていくと、木曽福島の駅前に来る。
 古い町らしく、駅だけでなく交番や厠なども木造で漆喰造りできれいに立っている。

naka19-26.JPG  駅の横に、御嶽木曽大教殿がある。
 これは、御嶽に登拝する時の安全祈願をするところであろう。
 昭和30年(1955)の「しょうわ」狛犬がいる。

naka19-28.JPG naka19-27.JPG  細い旧道を行く。
 塩淵の一里塚跡の碑がある。
 京へ六十七里 江戸七十里。

naka19-29.JPG naka19-30.JPG  旧道が消滅しているところでは、
元中央線のトンネルで道路を越える。
 中央本線をガードでくぐって、
線路沿いの細い登り道を行く。

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 御嶽山遙拝所がある。木曽路で御嶽山を仰ぐことができるのは鳥居峠とここだけである。
 鳥居と大きな自然石の碑があるだけである。
 雲が厚く、遠くに雪渓の山がうっすらと見えるだけである。

naka19-38.JPG  国道にいったん合流し、また左斜めの線路わきの道を行く。
 上松町に入る。

上松町:マンホール

naka19-33.JPG  沓掛の一里塚(京へ六十六里、江戸へ七十一理)がある。

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 木曽川に赤い橋がかかり、その下を流れる川の色が青くきれい。

 木曽の桟(かけはし)がある。
 木曽川沿いには通行困難な断崖がいくつかあった。
 ここは崖に石を積み上げ道路としたものである。現在は国道の下に残っている。
 岩にうがった穴が残っているものもある。
 甲斐の猿橋、岩国の錦帯橋とここが日本三大奇矯といわれている。

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 木曽川を右に見ながら国道の歩道を歩く。笹沢でトンネルの右の道を行く。

 信号十王橋のところに、「中山道上松宿入口」の道標が立っている。

 道は左に上松宿に入る。
 中山道19号線に並行する左側の旧道の266号線を行く。

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 上松の宿は木曽檜を商う商人町として繁盛した。狭い道の両側に軒が低い2階建が並んでいる。
 道の曲がりに合わせて家並みも曲がっている。

naka19-43.JPG  八幡宮がある。
 本殿は江戸中期の代表的な社殿建築で、
上松町で一番古い神社である。 

naka19-56.JPG 双体道祖神がある。

naka19-44.JPG  本陣跡は、現在歯科医院になっている。

naka19-45.JPG naka19-57.JPG  江戸より72里の
一里塚の跡碑が立っている。

naka19-46.JPG  上松小学校の手前に斎藤茂吉歌碑がある。
 「駒ヶ嶽 見てそめけるを 背後にし 小さき汽車は 峡に入りゆく」

naka19-47.JPG  上松小学校には藤村文学碑があり、
「山は静かにして性をやしない 水は動いて情をなぐさむ」

naka19-48.JPG  道をはさんで「上松材木役所跡」の標柱が立っている。
 「寛文3年(1663)尾張藩は木曽総山の検見を実施し、
その大半が伐られていることに驚き、
山村代官から山に関する一切の業務を取り上げ、
直轄の材木役所をつくった」という。

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 小学校の校庭の奥に諏訪神社がある。 拝殿内は裸材で内装された清楚な感じ。
 右からア・ウンの「しょうわ」狛犬がいる。 石塔群がある。こけむしていて読みづらい。

naka19-50.JPG naka19-51.JPG  大きな商家がある
三帰(みかえり)地区に行く。
 そば屋の越前屋、
茶屋本陣の多瀬屋がある。
 その間の道を下っていくと、
寝覚ノ床である。

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 旧道を行き、上松中学校の前の石畳の坂道を下る。

 滑川橋で滑川を越える。

 道路脇に馬頭観音がある。

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 ホテル「ねざめ山紫」をさがす。

 JRを超えた、19号線の中山道に面した旅館であった。

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