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第3日  浦和〜大宮〜上尾〜桶川(その1)
      
(北浦和)                                 2009.06.07 
          宿間の距離   6.1km+8.4km+3.6km 2010.01.10
               歩いた距離    22.6km        

  

 京浜東北線の北浦和で下車する。
 駅前で、学生のときよく食べにいった餃子の「娘娘」を探したが、なくなっていた。

nakasen03-01.JPG  164号線の旧中山道にはいる。
 昔とちがって、スッキリした感じがするのは、
道路が広く整備され、電線の地中化がされているからである。
 古い民家石造りの蔵も残っている。

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 正徳4年(1714)の庚申塔がある。青銅葺きの祠に納まっている。

 電灯の飾りに浦和レッズのキャラクターのマークがある。

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 旧与野市にはいる。

 与野駅入り口の辺りに、道路にはみでるような大きなケヤキがある。
浦和宿と大宮宿のほぼ半ばにあるので、
「半里塚」跡のケヤキといわれている。

nakasen03-06.JPG  昔、高台橋があったところに、
「お女郎地蔵」「火の玉不動」の石仏がたっている。

「お女郎地蔵」は、寛政12年(1800)にたてられたものである。
「大宮宿の旅籠に千鳥という女郎がいたが、
宿内の材木屋の若旦那と末は夫婦にと固い約束を交わした。
しかし、悪党の徳次郎も千鳥を見そめ、宿に火をつけると凄んで身請けしようとした。
千鳥は主家にも迷惑をかけられず、さりとて徳次郎のいいなりにもなれず、高台橋から身投げした。
哀れに思った近くの人々が地蔵を立てた」という。

 「火の玉不動」は、天保6年(1835)のものである。
 そのころ、高台橋の付近に火の玉が多くでた。ある夜一人の男が火の玉に斬りつけると、
「おれは不動明王だ」「お前に剣を切り落とされた」と言って消えた。
 翌日高台橋には、剣を持っていない不動様が立っていたという。
そこで、人々はこの不動を火の玉不動と呼んだという。

 街道の両側に、ケヤキ並木が続いている。

 この辺りから、さいたま新都心の大きな建物が多くなる。

 さいたまスーパー・アリーナがひときわ大きい。

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 ケヤキ並木の164号線は、氷川神社の参道と分岐する。
 赤く塗られた一の鳥居がある。日本一大きい木造の鳥居である。

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 164号線をいく。 

 大宮駅の近くが宿跡というが、
ビルが多く、昔のものはあまり残っていない。

 本陣跡は高島屋デパートのところで、
脇本陣跡は松亀ビルのところという。

 もう一つの本陣跡は、パン屋のキムラヤの横の「すずらん通り」をはいった、
居酒屋「旅籠屋次郎」のところであり、それらしい雰囲気を残している。

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 氷川神社の参道にもどり、神社にいく。
 この参道が、旧中山道より古い「古中山道」であり、
ケヤキ、エノキなどの並木が約2キロ続いている。

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 氷川神社は、古くから朝廷や武将の尊崇を集め、「大宮」の地名もこの神社に由来する。
 「古くは景行天皇のとき、日本武尊が東征のおり、当地に足をとめて祈願され、
また成務天皇の時武蔵の国造となった兄多毛比命(えたもひのみこと)が、
出雲族を引きつれてこの地に移住し、氷川神社を奉崇したと伝えられる。
その後聖武天皇のとき、武蔵国一宮と定められた」。  
 源氏、足利氏、北条氏、徳川氏からも崇敬された。
 朱色の神橋を渡り、朱色の楼門をくぐる。
 今日は日曜日ということで、参拝客が多く、社殿で多くの親子連れが祈祷を受けている。

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 境内の池の浮島に、宗像神社がある。

 裏参道からでて、護国神社にいく。
 あらためて、祭神をみてみると、
「鳥羽伏見の役以降の国事に殉じた埼玉県関係の英霊5万1千余柱を祀る」と記されていた。

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 氷川神社の裏の公園にアカシデが植えられている。
 名前の由来は「花穂の垂れ下がる様子が、
しめ縄に垂れ下がる紙(シデ)に似ていることによる」という。

 近くに、県立の歴史と民俗博物館がある。

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 JR宇都宮線を横切って、164号線にでて、北上する。

 安政7年(1860)の道標がある。
 「大山 御獄山 よの 引又 かわ越道」と彫られていて、
中山道から西へ分かれる道のゆく先を示していると、説明されている。

nakasen03-22.JPG  黒塗りで重厚な建物がある。
川越に本店のある「くらづくり本舗」という和菓子屋である。

 左に、石上(いそのかみ)神社がある。
疱瘡の神様として古くから信仰を集めてきた神社であるという。

 境内の左に、元禄10年(1697)の庚申塔がある。
「青面金剛と二鶏、三猿が陽刻され、地元では『耳の神さん』、『眼の神さん』と大事にされ、
耳や眼の病気の時にはダンゴを供えてお参りしたそうです」。

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 東北新幹線をくぐり、現中山道の17号線を横切る。
JRの宮原駅の横を通る。

 右に、加茂神社がある。
 鳥居の前に昭和55年(1980)の「新しょうわ」狛犬と、
拝殿の前に昭和48年(1973))の「新しょうわ」狛犬がいる。

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nakasen03-28.JPG nakasen03-27.JPG  本殿の前には、
小さな「江戸」狛犬がいるが、
右は顔が、左は足と尾が崩れかけて
「先代」化している。

 本殿の外壁には、競走している馬などの「競(くらべ)馬」の彫刻が彫られている。

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