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第2日  板橋〜蕨〜浦和(その2)
      
(志村)      (北浦和)                     2009.05.31 
            
宿間の距離   8.6km+4.7km 2009.08.22
                   (歩いた距離    14.0km)       2010.01.10

nakasen02-20.JPG  旧道にもどると、古い木造のうどん屋がある。

 その先に、「中仙道武州蕨宿、板橋宿 二里十町」と書かれた道標と宿案内の高札場がある。

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 一階の庇屋根の上に大きな銅板の看板がのった商店や、白壁の土蔵がついた商店がある。

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 宿の終わりの「上の木戸」に中山道ふれあい広場がある。
 壁画が描かれた白壁に囲こまれた広場になっていて、からくり火の見櫓がある。
 定時になると火消し人形がはしごをのぼるという。

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 宿の入口と同様の木の柵の門があり、石の道標があり、
旧中山道が17号線に合流する。

 その隣には白壁造りの北町交番がある。

 旧中山道は17号線を渡り、道を斜めにはいり、住宅地をいく。

 看板がロケットの形になっている理容店がある。

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nakasen02-54.JPG  さいたま市にはいる。
 さいたま市は、平成13年(2001)に浦和市、与野市、大宮市が
合併してできた市である。

さいたま市:マンホール

nakasen02-36.JPG  外環自動車道の下をくぐる辺りに、辻の一里塚跡の碑がある。
 隣に辻一里塚弁財天」のがある。
 保存会が再建したものである。

 左に、辻熊野神社がある。
 昭和9年(1934)のはじめしょうわ」の狛犬がいる。
 「江戸尾立」のようでもあり、太っていて、顔が小さい。左ウンはオスである。石工は石勘である。

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 六辻というところで17号線にでるが、
突っ切って住宅地の中をいく。

 次の信号の五叉路を斜め左にいく道が旧中山道である。

nakasen02-41.JPG  南浦和小学校の脇の歩道橋の下に焼米坂」の案内石柱がある。
 昔、焼米を食べさせる立場茶屋があり、それが地名となったという。

 浦和の宿にはいると、右に、調(つき)神社がある。
 「調は、律令時代の税である租庸調の調(ちょう)のことで、
武蔵国から伊勢神宮へ納める貢ぎ物(調)の初穂を納めた倉庫群の中に
この神社は鎮座していたといわれる」。
 「貢ぎ物である調と語感が近いことからか、調と月とが同じ読みからか、月待ち信仰につながり、
月神の使いとされるウサギの石像が境内入り口にある」。社殿の彫刻にも、ウサギが彫られている。

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 神社の入り口の、普通には鳥居があるところに、高い台座が置かれていて、
その上に、万延2年(1861)のウサギ狛犬がいる。
 体がふくよかで、目が小さく、口を結んでいる。顔全体があたたかな感じである。
 左右ともウンで、子ウサギがいる。
 右ウンの子ウサギはオッパイをさがしているようで、左ウンの子ウサギは上を向いている。
 石工は板橋宿の兼吉である。

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 木造の米屋、表具屋、お茶屋、ウナギ屋などがあり、この一角は街道筋の雰囲気が残っている。

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 その先に中山道浦和宿標示の石柱がある。
 道が整備され、ビルが建ち並び、街道筋の面影もない。道路元標がある。

 浦和駅周辺のにぎわいを抜けていくと、先ほどと同じ中山道浦和宿の標示があり、
整備された道路もここまでである。

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 左に慈恵稲荷神社がある。
 赤く塗られた小さな鳥居だが、笠木に銅の屋根がかけられている。
 参道の入り口に「市場通りの碑」があり、
イモやカボチャを売っている農婦ブロンズ像が置かれている。
 「この神社の社頭で、戦国時代以来昭和の初めまで、毎月二と七の日に市が開かれ、
農産物や生活必需品が取引されました」ことから、「二・七市場」といわれていた。 

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 急に暗くなり雨脚が強くなってきたので、浦和橋でJRをわたり、北浦和駅まで急いであるいた。
 大宮までいく予定を変更して、京浜東北線の北浦和で乗車して、帰宅。

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