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第1日  日本橋〜板橋(その1)
            
(志村)  
             
 宿間の距離      10.7km
                     歩いた距離      18.0km    2009.05.16

 地下鉄半蔵門線の三越前で下車する。

 日本橋にいき、日本国道路元標(複製)を見る。
 その隣にある里程標には、京都まで503kmとある。
 これは東海道のことであり、中山道は534kmで
ある。

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 日本橋の辺りには、魚河岸跡の乙姫広場や三浦按針屋敷跡石町の時の鐘など
見るべきものが多くあるが、他の街道歩きの中で紹介しているので、
省略して、さっそく中山道を歩くことにする。

 三越の前を通ると、十軒店跡の説明版がある。
 「十軒店とは、日本橋から北に向かう大通りに、商家が10軒あったことにちなみます。
 5代将軍綱吉が京都のひな人形師を招き、長屋を与えて、店を開かせました」。
 桃の節句や端午の節句に人形市がたち、大変にぎわったという。

nakasen01-04.JPG  JR神田駅のところで、山手線をくぐっていく。
 この辺りは神田鍛冶町3丁目で、はっぴを型どった町名案内板がある。
 「昔は鍋町と呼ばれ釘などを扱う問屋や馬具、
武具をつくる職人が店をだして住んでいたところである」。

 万世橋にくる。
 ここには以前、鉄道博物館があったが、
大宮に移転し、建物が取り壊し中であった。

 親柱に照明灯がついた昌平橋がある。

 昌平橋で神田川をわたる。
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 旧中山道の左に湯島聖堂があり、見ていくことにする。
 昌平坂に面して立派な漆喰塀(築地塀)がある。
 湯島聖堂は、「儒学に傾倒した5代将軍綱吉が、元禄3年(1690)に
この地に孔子を祀る『大成殿』や『学舎』を建てました」。
 「寛政9年(1797)に幕府は、昌平坂学問所を開き、官立の大学として
江戸時代の文化センターの役割を果たしました。また、明治にはこの地に文部省が置かれたほか、
国立博物館、東京師範学校、女子師範学校が置かれ、近代教育発祥の地となりました」。 

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 大成殿の青銅ふきの屋根には、しゃちに似た魚(鴟尾)が屋根のてっぺんを守り、
軒先にはトラ(鬼龍子)が構えている。

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nakasen01-12.JPG  湯島聖堂の向かい側の神田明神にいく。
 「江戸の総鎮守として、将軍の崇敬を受けていた。
 その祭礼は盛大で、日枝神社の山王祭とともに
将軍の観覧に供されたので、天下祭りといわれた」。
 また平安中期に反乱を起こした平将門が、
板東の民衆には敬愛され、祀られている神社でもある。

nakasen01-14.JPG nakasen01-13.JPG  拝殿の前に大きな
招魂社」の狛犬がいる。
 昭和8年(1933)の、
右からア・ウンで、
大地に足を開いて
踏ん張っている姿がりりしい。
 石工は、野村保太郎である。

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 拝殿の横に、文久2年(1862)の
獅子山」の狛犬がいる。
 2匹の狛犬が、
山から落とした子狛を見下ろしている
よく見る構図であるが、
この子狛は関東大震災で紛失したので、
新しく造られたものという。

 他に境内の末社に、
昭和7年(1932)の「江戸」狛犬と
「しょうわ」狛犬がいる。

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 本郷通りをいく。

 春日通りと交差するところに、
「本郷も、かねやすまでは、江戸の内」でしられる
歯磨き粉などを売っていたかねやすがある。
 「享保15年(1730)に大火があり、湯島や本郷一帯が焼けたため、
再興に力を注いだ町奉行の大岡越前守は、ここを境に
南側を耐火のために土蔵造りの塗屋にすることを命じた」。
 その北側は従来どおりの板や茅ぶきの町並みであったという。

 現在は「かねやす」もビルになり、昔のなごりはなにもない。

nakasen01-17.JPG  東京大学がある。
 ここは、かつて加賀藩の上屋敷跡で、
 赤門は、文政10年(1827年)に
11代将軍家斉の息女溶姫(やすひめ)が
前田家に嫁いだ時、建てられたものである。

 農学部の正門の前が、中山道と日光御成道が分岐する追分である。
 その角の高崎酒店のところに、日本橋から初めての一里塚があったという。

nakasen01-18.JPG  大円寺がある。
 ここの地蔵が、八百屋お七にちなむ焙烙地蔵である。
 「お七の罪業を救うために、熱した焙烙を頭にかぶり、
自ら焦熱の苦しみを受けたお地蔵様といわれている」。
 地蔵堂には、多くの焙烙と千羽鶴が納めてある。
 延宝3年(1675)と元文5年(1740)の庚申塔が立っている。

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