すすむ
第1日 日本橋〜浅草 (その1)
日本橋は五街道の全ての起点であり、 橋の中央に真鍮製の日本国道路元標がある。
車の来ない時を見はからって道路の中央まで行き、写真を撮った。
右側すぐの道を入り、宝石店の前の「三浦按針屋敷跡」の石碑を見る。
按針は、徳川家康、秀忠の通商外交顧問であったイギリス人、 ウイリアム・アダムスのことである。 そのことから、この地が按針町と呼ばれていたという。
千疋屋の角を右に曲がり、 高速道路を渡った先にホテルギンモンドがある。
伝馬町牢屋敷があった十思公園に行く。
幕末に、大老井伊直弼が尊皇攘夷派に対して行った安政の大獄で、 吉田松陰、梅田雲浜、頼三樹三郎などの勤王の志士が処刑されたところでもある。
緑に囲まれて、吉田松陰の辞世碑がある。 「身はたとひ 武さしの野辺に朽ちぬとも とどめ置かまし 大和魂」。
十思公園には「石町の鐘楼」がある。
十思公園の向かい側には、処刑場であった大安楽寺がある。
塀の柵に赤い字で処刑場跡と書かれた石碑がはめ込まれてある。
浅草橋の手前に郡代屋敷跡がある。 関東・東海にあった幕府の直轄地である天領の年貢の徴収、 治水などを処理した関東郡代の役宅である。
橋を渡ると、浅草見付跡の碑がある。
JR総武線の浅草橋駅をガードでくぐると、有名な人形店が並んでいる。
左に入ったところに、銀杏岡八幡神社がある。 源頼義、義家が安陪貞任、宗任を討った奥州征伐の戦勝を祈願したところである。
平成4年(1992)の「新しょうわ」の狛犬がいる。 境内の片隅に、文化11年(1814)の江戸尾立の狛犬の左だけが「先代」として残っている。
右に少し入ると、榊神社がある。 ここは東京工業大学の前身の蔵前工業学園があったところである。
それ以前は、幕府の書籍収蔵所であり、 明治7年(1874)に最初の官立図書館「浅草文庫」となった。
また、脇の入り口には 昭和15年(1940)の皇紀2600年記念の 「鈴しょうわ」狛犬がいた。