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第1日  日本橋〜浅草 (その1)

             歩いた距離 6.4q   2005.02.11

 地下鉄半蔵門線の三越前で下車する。

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 日本橋は五街道の全ての起点であり、
橋の中央に真鍮製の日本国道路元標がある。

 車の来ない時を見はからって道路の中央まで行き、写真を撮った。

 橋詰めの歩道の所に、宇都宮まで107kmと書かれた里程標とともに、
道路元標のレプリカが置かれてあるが、
今回、初めて実物を写真に撮ることができた。

日本橋を背にして、神田方面に歩き始める。

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 右側すぐの道を入り、宝石店の前の「三浦按針屋敷跡」の石碑を見る

 按針は、徳川家康、秀忠の通商外交顧問であったイギリス人、
ウイリアム・アダムスのことである。
そのことから、この地が按針町と呼ばれていたという。

 金沢・浦賀往還を歩いたとき、横須賀に三浦按針夫妻の墓である安針塚があった。

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 千疋屋の角を右に曲がり、
高速道路を渡った先にホテルギンモンドがある。

 その前に「旧日光街道本通り」と書かれた日光道中道標がある。

 本町3丁目の交差点の高速道路の下には、宝田恵比寿神社への道標がある。
 この神社の大祭恵比須講に合わせて伝統行事の「べったら市」が開かれるという。

  伝馬町牢屋敷があった十思公園に行く。

 幕末に、大老井伊直弼が尊皇攘夷派に対して行った安政の大獄で、
吉田松陰、梅田雲浜、頼三樹三郎などの勤王の志士が処刑されたところでもある。

 緑に囲まれて、吉田松陰の辞世碑がある。
「身はたとひ 武さしの野辺に朽ちぬとも とどめ置かまし 大和魂」。

 下田街道を歩いたとき、蓮台寺で松陰がペリー艦隊に便乗して密航することを企て、
その機会を待つ間寓居した医者の家があったのを思い出した。
 また下田には密航に失敗して拘禁された泰平寺があった。

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 十思公園には「石町の鐘楼」がある。

 この鐘は江戸城にあったものを
2代将軍秀忠の時に日本橋石町に移したもので、
現在はさらに公園内に移転、保存されている。

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 十思公園の向かい側には、処刑場であった大安楽寺がある。

 塀の柵に赤い字で処刑場跡と書かれた石碑がはめ込まれてある。

 大安楽寺の中に、
北条政子の発願により造られたという八臂弁財天がある。

nikko01-06.JPG  横山町、馬喰町の繊維の問屋街を行く。

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 浅草橋の手前に郡代屋敷跡がある。
 関東・東海にあった幕府の直轄地である天領の年貢の徴収、
治水などを処理した関東郡代の役宅である。

 現在は小公園になっていて、交番が立っている。

nikko01-08.JPG  神田川には、船宿が多く屋形船が舫っている。

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 橋を渡ると、浅草見付跡の碑がある。

 北関東、東北へのおさえである江戸城の外曲輪門の1つである。

 JR総武線の浅草橋駅をガードでくぐると、有名な人形店が並んでいる。

 左に入ったところに、銀杏岡八幡神社がある。
 源頼義、義家が安陪貞任、宗任を討った奥州征伐の戦勝を祈願したところである。

 平成4年(1992)の「新しょうわ」の狛犬がいる。
 境内の片隅に、文化11年(1814)の江戸尾立の狛犬の左だけが「先代」として残っている。

 須賀神社がある。「しょうわ」の狛犬がいるが、
ここにも延享元年(1744)の江戸尾立の左だけが「先代」として残っている。

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 右に少し入ると、榊神社がある。
 ここは東京工業大学の前身の蔵前工業学園があったところである。

 それ以前は、幕府の書籍収蔵所であり、
明治7年(1874)に最初の官立図書館「浅草文庫」となった。

 ここには、平成2年(1990)の「鈴しょうわ」の狛犬がいる。

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 また、脇の入り口には
昭和15年(1940)の皇紀2600年記念の
「鈴しょうわ」狛犬がいた。

 右ア、左ウンとも雄である。

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