もどるfoot_linehidari.gif    iconhoum1.gif   icon2133.gif foot_line.gif すすむ

第1日  日本橋〜板橋(その2)
            
(志村)  
             
 宿間の距離      10.7km
                    (歩いた距離      18.0km)   2009.05.16

 白山神社にいく。
 5代将軍綱吉とその生母桂昌院の信仰を受けた神社である。 

nakasen01-20.JPG nakasen01-21.JPG  安永9年(1780)の
江戸尾立」の狛犬がいる。
右アは擬宝珠で、左ウンは二段角で、
どっしりした姿である。
 石工は、石屋五郎兵衛である。

nakasen01-19.JPG  境内に孫文先生座石と書かれた石碑と細長い「腰掛け石」がある。
 「明治43年(1910)5月、中国の政治家孫文と宮崎滔天がこの石に腰掛けて、
中国の将来を語り合い祖国の革命を誓ったという」。

 17号線(旧白山通り)をいく。
 東洋大学の前を通り、白山通りと合流して巣鴨駅までくる。
 駅と通りをへだてたところに、サクラの染井吉野の碑が立っている。

 「旧中山道は、タネ屋街道」という説明板が立っている。
 「滝野川のゴボウ、ニンジンなど優れた野菜が出現すると、タネを扱う専門店が出来、
巣鴨のとげ抜き地蔵から板橋の清水町にいたる間がタネ屋街道になりました」。

nakasen01-22.JPG  地蔵通り入り口の左に真性寺がある。
 ここに、「18世紀初めに、街道沿いの江戸の入り口に
旅の安全を祈って安置」された、江戸六地蔵の一つである銅の地蔵仏がある。
 大きな坐像で、穏和な表情である。
 今までに、東海道の品川の品川寺、甲州道中の四谷太宗寺、
日光道中の山谷東禅寺で、同様の江戸六地蔵を見た。
 境内に、芭蕉の「白露も こぼれぬ萩の うねりかな」の句碑がある。

 巣鴨の地蔵通りをいく。
 土曜日なので、特に高齢者の人出が多い。
 通りの中に、名物の塩大福の出店がでている。

 nakasen01-24.JPG nakasen01-25.JPG

nakasen01-23.JPG 「とげぬき地蔵」で有名な高岩寺がある。
 本尊は心の棘、心の罪まで抜いてくれる
霊験あらたかな秘仏であるという。

 都電庚申塚駅の手前に、猿田彦大神の庚申堂がある。
 小さな堂を、右からア・ウンのサル」狛犬が守護している。
 昭和62年(1987)の新しいもので、台座に三猿のレリーフがある。

nakasen01-26.JPG nakasen01-28.JPG nakasen01-27.JPG

nakasen01-29.JPG

 都電荒川線を踏みきる。

 明治通りをすぎ、JR埼京線の板橋駅の横を通る。

 17号線(中山道)の下を旧中山道が斜めに突っ切っている。
 ここで、日本橋から最初の宿である板橋宿にはいる。
 平尾宿、仲宿、上宿に分かれていたという。
 入り口の建物の掲示板に「これより板橋宿」と案内がでている。
 ここが平尾の追分で、ここから商店街が続く。
 アーケードに「板橋宿」と書かれた板橋不動通りをいく。

 出世不動のある観明寺の参道入り口に、
木の格子の覆い堂の中に寛文元年(1661)の庚申塔がある。
 青面金剛が彫られたものとしては、都内で最も古いのものであるという。

nakasen01-30.JPG nakasen01-39.JPG

 この通りには、
古い商家や立派な風呂屋がある。

 右に少し入ったところに
板橋地域センターがある。
 一階が地域観光の展示場で、
ボランティアの説明員が3人ほどいて、
板橋宿や中山道の説明をしてくれた。

 仲宿商店街のところに
「中仙道板橋宿」の木札が立っている。

nakasen01-31.JPG

 石神井川を板橋でわたる。
 この橋が板橋宿の名の由来になったものである。
 「江戸時代の板橋は太鼓状の木製の橋で、
長さは9間、幅3間ありました。
自動車の普及に対応するため、
昭和の初めにコンクリートの橋に架け替えられました」。

 現在の橋は、昭和47年(1972)のもので、
木製のように塗装されている。

nakasen01-32.JPG

 「本町にぎわい広場」があり、交番や「火の見櫓」のような建物がある。
 道標と「板橋宿上宿」の説明板がある。

 その先、大穴天神を祀った小さな祠の前に、縁切り榎がある。
 「男女の悪縁を切りたい時に、この榎の樹皮を削りとり、
煎じて密かに飲ませると、その願いが成就する」という庶民信仰があった。

 幕末に、皇女和宮が14代将軍家茂に嫁ぐため、ここを通った時には、
「縁切り榎」を菰でくるんで見えないようにしたという。

 環状7号線の下をくぐり、17号線を北上する。

 右に、氷川神社がある。
 大正9年(1920)のはじめしょうわ」の狛犬がいる。
 石工は、石幸である。

nakasen01-33.JPG nakasen01-35.JPG nakasen01-34.JPG

 日本橋から3番目の、志村の一里塚がある。
 昭和の初めに、中山道が拡幅されて多少位置を変えられたが、
道の両側に大きな榎が植えられて残っている。
 「今日、現存する一里塚は全国的にも非常に希なもので、
都内では北区西ヶ原と志村の二カ所だけであり、国の史跡に指定されている」。

nakasen01-36.JPG nakasen01-37.JPG

 都営地下鉄三田線の志村坂上で乗車して、帰宅。

もどるfoot_linehidari.gif    iconhoum1.gif   icon2133.gif foot_line.gif すすむ