はじめに
徳川家康が、関ヶ原で勝利し幕府を開いてから手がけたことに、交通網の整備があった。
中山道の宿駅が定められたのは、慶長7年(1602)である。
この道筋は、奈良時代に定められた五畿七道のうちの東山道であるといわれている。
中山道は、日本橋から京都三条大橋まで69宿で534kmであった。
起点と終点が同じである東海道よりも16宿、52km長い。
中山道は、距離が長く、険しい山道や峠などが多かったにもかかわらず、
大雨による川止めが少なかったので、旅程が確実にはかれるということなどから、利用者が多かった。
旅程は、ほぼ15泊16日であったという。
中山道は、加賀藩をはじめ、約40の藩が参勤交代で使い、江戸と国元を結ぶ公の道であった。
また、街道の周辺にある善光寺や榛名山、妙義山を詣でたり、温泉を楽しむことなどに使われる、
信仰や遊山の道でもあった。
わたしたちは、1997年9月に東海道を日本橋から歩きはじめ、
1999年10月に三条大橋にたどりつき、その後、甲州道中(2000〜2002)、
日光道中(2005〜2007)、奥州道中(2008)を歩き終えた。
中山道が、五街道の最後の挑戦である。
体力も考えて、無理をせず確実に前進するよう心がけた。
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