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 第6日  寒川〜平塚(その2)  
            (歩いた距離 17.3km  2001.09.29)

naka6-10.JPG 平塚市にはいる。

平塚市:マンホール

naka6-11.JPG naka6-12.JPG  橋のたもとに、
八坂神社がある。
 銅貼りの鳥居。全体が
落ち着いているが、
狛犬は昭和49年(1974)
の「新しょうわ」。
大山道標や庚申塔がある。

 また田村ばやしの碑があり、「鎌倉時代には、三浦平六義村がこの地に山荘を設け、
田村の惣と称した。京都より楽人雅楽の人が山荘に来て、その時の太鼓が田村ばやしの
源流ではないかといわれている。吾妻鏡に安貞2年(1228)に摂家将軍頼経に従って、
鎌倉の将軍達が来遊した記録があり、舞女数 群り集まると見える」。

naka6-13.JPG  相模川の右岸土手に「田村の渡し場跡」の石碑が立っている。

naka6-14.JPG naka6-15.JPG  工場街を南に下って、
前鳥(さきとり)神社に行く。
 お祭りの跡かたづけで大忙し。
ここは相模「四の宮」で学業、
受験にちなむ祭事が多い神社
である。
 正面と脇の鳥居には昭和57年
(1982)の「新しょうわ」
狛犬が2対ある。

中原街道はほぼ西へ向いているが、住宅地になっていてはっきりしない。

naka6-16.JPG naka6-17.JPG   丘の上の真土神社に行く。
参道に狛犬はいないが、境内の片隅に
狼顔の「江戸」の「先代」狛犬がいる。
 この辺りの神社は狛犬が少なく、
あっても新しいものが多いが、
古いものは捨てられてしまったのかも
しれない。

 自然石の丸長い「道祖神」とだけ書かれたものがある。
 平塚伊勢原街道まで来る。
 この道の歩道に数カ所、色の違ったタイルで区画がされている。
その一つ一つが中原上宿遺跡の住居跡を表したものである。

naka6-18.JPG  日枝神社がある。
 これは「家康公が鷹狩りの遊殿を中原に建築の際、当社は
御殿の鬼門に当たるので、方除鎮護のため再三にわたり
修営をさせた」といい、中原御殿と関係のある神社である。
 大きな彩色してある扁額がある。多くの人が踊り、見物している
絵である。
 「しょうわ」狛犬がいる。

naka6-19.JPG

 境内に大山道標を兼ね、首が取れた不動明王が上に座っている庚申塔
がある。側面に「左ステーンショ道」と書かれている。

 「ステーンショ道」とは、ステーションに通じる道のことらしい。
 近くでは、秦野で旧湘南軌道(秦野〜二宮)の標示杭を見かけたが、
記憶違いで「ステーンショ道」と書かれてなく「軽便みち」と書かれていた。
 インターネットで調べると滋賀県伊吹町にかつて春照(すいじょう)駅
(長浜・関ヶ原線)があり、今でも「ステンショ道」と名づけられた道が
その名残をとどめているという。

 また笠付きの彫刻がはっきりした庚申塔もある。

naka6-22.JPG naka6-20.JPG  数百メートル南を右に曲がり、突き当たりに
中原小学校がある。ここが「中原御殿」
あった所であるが、説明の石碑があるだけ
である。「徳川家康が鷹狩りなどの折りに
宿泊所として、慶長元年(1596)に造られたと
いわれ、明暦3年(1657)には引き払われ
ました」。「規模は東西約140m、
南北約100mで、四方に幅約10mの
堀をめぐらしていました」。

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  小学校を過ぎて右に、善徳寺があり、その山門
茅葺きで、「家康の旅館中原宿の雲雀野御殿の裏門を
移築したもの」という。

 バスで平塚に出て、JRに乗り帰宅。

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