はじめに 矢倉沢往還は、江戸城の「赤坂御門」を起点にして多摩川を二子で渡り、荏田・長津田、 日本武尊が東征する時、足柄峠を通って矢倉沢から厚木まで矢倉沢往還とほぼ同じ方向 矢倉沢往還は公用の道、信仰の道、物資流通の道と様々な機能を持っていた。 公用の道としては、天正18年(1590)徳川家康が関東に入国するに際し、箱根の関所の 次ぎに信仰の道としては、江戸時代中期以降庶民の大山信仰が盛んになり、各地から また物資流通の道としては、相模、駿河、伊豆、甲斐から物資を大消費地である江戸に 散歩がてらに歩いていた。 その後、街道をつなげて歩くようになって、矢倉沢往還を平成9年(1997)に踏破した。 その時は御殿場から先を三島へ向けて歩いたが、矢倉沢往還は沼津で東海道に合流する という説が一般的なので、平成14年4月、矢倉沢往還に再び挑戦することにした。 |