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第36日 庄野〜亀山〜関 
                     (井田川)              
                               宿間の距離   7.8+5.9km    1999.06.05
                  歩いた距離     15.9km

 名古屋まで新幹線ひかりでいき、関西線に乗り換える。

 天気が良く、奥熊野や関へのウォーキングツアーと一緒になって、
電車の中はごった返している。どうにか二人分の座席を確保。

 関のツアーは豊橋の老人会で、私たちも今日は関泊まりだということで、話が弾む。

 井田川で下車する。駅は亀山市になる。

 東海道から神戸道が分かれる所に元禄3年(1690)の和田の道標がある。
「従是神戸 白子 若松道」と書かれていて、この道は亀山領内の若松港への重要な道路で
あった。

 石上寺にいく。
ここは「延暦15年(796)新熊野三社の神宮寺として開創されたもの。
鎌倉将軍家の祈祷所であったが、信長の伊勢進攻で焼かれた。
鎌倉から室町の古文書が残されていて有名」。
寺の奥に熊野大権現がある。ツツジと木々の緑がきれい。

 和田の一里塚がある。

 亀山はろうそくの産地で、「カメヤマローソク」の会社があった。

 亀山宿も日本武尊と大いに関係がある。
尊は杖衝坂を登り能褒野(のぼの)にきて「倭は国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる
倭しうるはし」と詠んでにわかに亡くなったという。

tokaido36-1.JPG 「日本武尊旧跡 能褒野(のぼの)神社鳥居」の碑と鳥居がある。
この神社は東北3kmほどにあって、日本武尊が東征の帰路に
死亡した「王塚」と呼ばれる能褒野陵で、
「白鳥陵」とも呼ばれるものである。

 鈴鹿市の加佐登駅の北方350mにも、日本武尊が死んだ後白鳥となって
飛んでいったという「白鳥陵」があるが、現在は亀山市の「王塚」が正式な墓といわれている。

 亀山の宿。江戸口門跡から古い町並みが残る。中二階の家で二重の庇のものが多い。
二階の板壁に天邪鬼の様な人形を張りつけている家がある。

 竹細工の店があり、束ねた「ちまき」が入口の軒下につり下げられていた。

tokaido36-2.JPG  遍照寺にいく。
「頭で鐘撞く遍照寺」といわれた古刹。
街道から鐘楼門をくぐると急な坂で、坂の下に本堂があるからで
あろう。
「本堂は亀山城の二の丸御殿の式台と玄関を移したもの」という。
屋根には上り亀と下り亀の瓦が対峙した形で置かれている。

 街道にもどると道は下り坂で、その後亀山城への上り坂にうつる。

 急な石垣の上に多聞櫓が見える。亀山城で現存しているのはその多聞櫓だけである。
白壁の櫓、門、土塀などを連ねる景観を蝶の群が舞う姿にたとえて、粉蝶城とも呼ばれた。

 一角に亀山神社がある。奥深い神社。拝殿は質素な白木造り。
 苔むした笑い顔の明治30年(1897)の「京うちわ」狛犬がいる。
劈開してアの顎が欠けているが、目が大きくどっしりした狛犬である。

 駅の近くまでいって、回転鮨で昼食。

 また城近くまでもどり、家老職の侍屋敷を見る。
しんばり棒で板戸を開けている長い白壁の長屋門と土蔵がある。

 広重の「亀山 雪晴」の絵を意識して、京口坂橋から城の方を見上げて、杉林の写真を撮る。

tokaido36-3.JPG

 忍山(おしやま)神社。拝殿から本殿が見えるようになっている。
ここは鈴鹿小山の宮ともいい、「弟橘媛生誕の地、倭姫命の巡幸地」で
あるという。

 大正12年(1923)のどっしりとした目が鋭い恐い顔の「京尾つき」
狛犬
がいる。

 旧道にもどって、野村一里塚があり、立派な楠がある。

 街道沿いにいき、皇館(こうだつ)大神宮といわれた布気(ふけ)神社。
長い参道の清潔な神社。大きく口をあけた大正14年(1925)の「はじめしょうわ」狛犬。

 境内に能古(のんこ)茶屋跡の説明板がある。能古という禅僧が開いた立場茶屋という。

 関西線を越え、鈴鹿川の土手をいく。18丁におよぶ大岡寺(だいこじ)縄手という。
芭蕉が「から風の大岡寺縄手ふき通し 連もちからもみな座頭なり」と詠んでいる。

 再び小野でJRと国道1号を越えて上り坂。

 関宿にはいる。7世紀に鈴鹿関が設けられたのが地名の由来である。

 坂を上ると東の追分。

 関西方面から参宮する伊勢別街道が東海道と分岐する所に、木の大きな鳥居がある。
そこに享保17年(1732)の青銅の屋根の大きな常夜灯がある。

 関宿「伝統的建造物群保存地区(町並み保存区)」に指定されている。

tokaido36-4.JPG tokaido36-5.JPG

 一階二階とも連子格子で、一階の
小さな屋根からキリヨゲ(霧除け庇)
ある家がある。

この家の玄関は板を雨戸として上から
はめる方式の一間半のもので、その雨戸
に背の低い通用口がついている。

 中二階の前面を漆喰で塗籠(ぬりご)
めた虫籠(むしこ)窓がついた家がある。

 馬を繋ぐ輪金具と水飲み桶。店の前に取り付けられたばったり床几(見世棚)。

 二階の手すりや格子窓がきれいな芸妓置屋であった「開運楼」。

 右にある関神社へ曲がる角に「御馳走場」の倒れかけた標石がある。
「宿に出入りする大名行列の一行を宿役人が出迎えたり見送ったりした場所」である。

 関神社の拝殿の前には苔むした「京うちわ」の狛犬。左ウンには角があった。

 旧道にもどると、瓦屋根で格子造りの町屋風の「百五銀行」。

 二階の小屋根の上に、漆喰細工の虎と龍がついた家がある。

 多くの道具がきれいに並べられていた「桶重」という桶屋さん。

 鶴屋という脇本陣。ここは座敷の上につけられている千鳥破風。

 屋根付の庵看板が目立つ銘菓「関の戸」の深川屋。

tokaido36-6.JPG tokaido36-7.JPG  歴史資料館になっている旅籠の「玉屋」
がある。宝珠の玉をかたどった虫籠窓が
ある。
 番頭が帳場に座っている様子や旅人が
食事をする様子などが再現してあった。
 中庭の蔵には色々な店の看板が
展示してあった。

 地蔵院の門の前には、旅籠の「あいづや」、二階に洋風意匠の窓がついた洋館、
街道で唯一営業しているという鍛冶屋がある。一軒一軒みていても飽きない。

tokaido36-8.JPG 「関の地蔵に振り袖着せて 奈良の大仏婿にとろ」の俗謡で有名な
地蔵院。地蔵は行基の作で、日本最古のものである。
中は薄暗く、金色の部分だけが光っていて神秘的である。
愛染堂と鐘楼は国の重要文化財である。

 坂を少し上ると、国民宿舎「関ロッジ」に着く。

 風呂に入り体をほぐして、食堂で夕食。

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