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第35日  四日市〜石薬師〜庄野          
                             (井田川)
                         宿間の距離   10.7+2.7km   1999.05.02
                          歩いた距離       21.4km 

 朝食後、鈴鹿峠に向かって歩き始める。

tokaido35-1.JPG  ホテルの近くの諏訪神社の横には、「四日の市笑売笑買」と
書かれた大きな暖簾がかかったアーケードの商店街がある。
昨日は人通りが多かったが、
日曜日の早朝ということで店は閉まっており、人も通っていない。
この辺りは「四日市庭(いちば)とよばれた市場町で、
16世紀には四の日が市日と決まっていた」という。

 近鉄とJRの四日市駅を結んでいる中央通りを越える。

 崇顕寺の前に「丹羽文雄生誕之地」の標石が立っていた。

tokaido35-2.JPG  大宮神明社
鳥居をくぐって参道すぐの所に1メートルほどの高さの石垣があり、
その上に狛犬がいる。これは昨日の諏訪神社と同様である。
猫顔で尾が立った大正6年(1917)の「京尾太」の狛犬
 摂社である二柱大神社は清潔な畳敷きの拝殿で、
その中に小型の「陶器」狛犬がいるようだ。

 この先の両聖寺に「同地区を流れる天白川の堤防を固めるときに村人が踊った」という
「つんつくおどり」の説明がある。司馬江漢が「誠に田舎の踊りなり」と評したもの。

 天白川を渡ると、日永神社。シンプルな拝殿。
苔がはえて耳が広がった「京尾下がり」の狛犬がいる。

 日永一里塚跡の碑。

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 日永追分がある。
東海道と伊勢への参宮街道との分岐点であり、
神宮遙拝の「二の鳥居」は安永3年(1774)に建てたもの。

 「すく江戸道、右京大坂道」の大きな石の道標がある。
灯籠と井戸があり、旅人の憩いの場であったろう。

 追分駅の踏切で近鉄を越える。

 大蓮寺、観音寺を拝み、隣の小古曽神社にいく。木製の大きな鳥居。
 大正5年(1916)の御遷宮記念の「京尾太」の狛犬。
左ウンにいる子狛が親の前右足を伸び上がって持ち上げているが、
この辺りの流行であろうか。 

 近鉄内部(うつべ)線の終点内部駅を横に見て、なお進む。

 内部川を渡った所から旧道は坂道となり杖衝(つえつき)坂である。

 杖衝坂は、「日本武尊東征御凱陣の時、御足に悩ありて歩行なり難きによって、
佩き給へる御劔を解いて杖につき給ふより此名あり」。

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 季語のないことで有名な芭蕉の
「歩行(かち)ならば杖つき坂を 落馬かな」
の句碑がある。「芭蕉が貞享4年(1687)に
江戸から伊賀に帰る途中この坂にさしかかった
時、馬の鞍とともに落馬した」という。

 日本武尊血塚がある。
尊が杖衝坂で足から出た血を封じた所と
いい伝えられている。

 坂の上で国道1号と合流。

 また分かれて細い道をいく。
 すぐに地蔵堂があり、その木陰でコンビニで買ってきたパンで昼食をとり、一休み。

 石薬師宿の入口に北町の地蔵堂がある。
 宿は町並み保存されており、小沢本陣跡は連子格子の家である。

 国学者で歌人である佐佐木信綱の生家と記念館がある。
「卯の花の匂ふ垣根に」の唱歌「夏は来ぬ」の作詞者である。白い漆喰の塀が緑に映える。

 瑠璃光橋で国道1号を渡る。橋は空色で擬宝珠がついている。

tokaido35-6.JPG  その向こうが石薬師寺
「聖武天皇のころ大地鳴動して巨石が出現し、その後弘法大師が
この石に薬師如来を刻んで開眼供養したという」。
 古い山門を入り新緑の参道をいくと、
一休の「名も高き誓ひも重き石薬師 瑠璃の光はあらたなりけり」
の歌碑がある。
 ここに大きな鈴をつけた「渡来」の獅子がいる。

 近くの御曹司蒲神社にいく。
 ここは「蒲(かばの)冠者範頼を祭った神社。範頼は源頼朝の弟で武道学問に優れて
いたので、それらの願望成就の神様といわれている」。

 蒲川橋に「石薬師の一里塚跡」の標石。

 田んぼの中の農道をいくと目印がないので、JRの電車が走っているのを見て安心する。

 加佐登駅でトイレを借りるため、少々街道からはずれる。

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 庄野の宿にはいる。

 脇本陣の油問屋資料館になっている。
管理している近所の奥さんが案内してくれる。
 庄野名物焼米俵が展示してあった。
これは「焼米を入れたこぶしほどの小俵で、往来の旅人が
国もとの子や孫などに土産として買いもとめた」というもの。

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 川俣神社。シンプルな拝殿がある。

 目が大きくウンには角があり頭でっかちの「京耳タレ」
狛犬
がいる。他に昭和17年(1942)の「しょうわ」狛犬がいる。
これは庄野区養蚕実行組合の解散記念で奉納したものである。

 4人の小学生がいて狛犬に登ったりして、
写真撮影のじゃまをする。

この辺りの街道は鈴鹿川沿いにある。

 女人堤防の碑がある。
「当地は安楽川が鈴鹿川に合流する場所で水害がよく発生し苦しめられたが、
御城下の安全のため築堤は許されなかった。そこで罰を覚悟で女子ばかりが無許可のまま、
6年かけて堤防を完成した」というもの。

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 「従是東神戸領」の領界石がある。

 鈴鹿川の土手と田んぼの間に
広重の「庄野 白雨」の竹藪に似た所がある。

 同名の川俣神社。ここに「従是西亀山領」の領界石
これで領界石も一対となる。

 土手の下にまたまた川俣神社。
 拝殿は多少古いが、中はシンプル。
 境内の一角に、お尻を上げた座り方で頭が大きい昭和4年(1929)の「京尾太」狛犬いる。
 古い庚申塔がある。

 川俣神社が三ヵ所もあるのは、洪水が起きないように祈ったものか。

 和泉橋を渡る。遠く低い山並みと水量の少ない川原、竹藪、家がひとかたまり。
夕方で全体に色彩が乏しい風景で、古い時代にもどったようだ。

 観音堂跡に当時の鬼瓦などがきれいに展示してある。

 瓦が落ちかけている地蔵さんの小さな祠。
黄色い菊が飾ってあるのはアンバランスでかえってわびしい。

 JR井田川駅に着く。ここは無人駅で、人待ち顔の自転車が十数台置かれてある。
田んぼの中の駅で、1時間ほど待つことになる。
 天気が良く暖かなのでよいが、そうでない時は一層寂しくなっただろう。

 関西線で名古屋までいき、新幹線で帰宅。

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