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第26日 浜松〜舞坂

                  宿間の距離  11.1km   1998.10.05
                  歩いた距離  17.8km        

 浜松の名は、「室町時代の6代将軍足利義教がこの地を通りかかり、
風にざわめく松の響きを聞いて『浜松の音はざざんざ』と謡い、それ以来『浜松』となった」と
いわれる。

 天気がよいので、朝食前に宿の周りを散歩する。

 宿の前に堀留運河がある。幅4間ほどの石を組んでつくった立派なもの。
「明治4年(1871)に住民と旧士族が奉仕的に参加して、現在の菅原町から入野町まで約850間
を築き、浜松や湖西の間の旅客や貨物を輸送する船便を運行するためにつくったもの」である。

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 賀茂真淵生誕地にいく。
現在は井戸が残っているだけの小さな公園になっている。

 そこから坂を上っていくと、賀茂真淵を発神とする縣居神社がある。
昨日いった賀茂神社の地から大正9年(1920)に現在地に移した
もの。朝が早いので人がいなくて緑が深くいい雰囲気。
隣りに賀茂真淵記念館がある。

 縣居小学校の横には、廃止した鉄道の線路敷きを利用した遊歩道があり、
初期の軽便機関車が展示されていた。

 宿で朝食をとり、9時頃出発。

 東海道線と新幹線のガードをくぐり、国道257号にでて、西へいく。

 この辺りは真直ぐな道で八丁畷という。

 小さな用水路に架かった鎧(よろい)橋がある。
「平安時代末期に戒壇設立のことで、比叡山の僧兵がこの在の鴨江(かもえ)寺を攻めた時、
鴨江寺側の軍兵が鎧を着てこの橋の守りを固めて戦った」ことに由来する。

 江戸から66番目の一里塚跡の石碑がある。

tokaido26-2.JPG  街道が西に折れる若林に古いお堂があり、「二つ御堂」という。
「都で病にたおれた藤原秀衡を訪ねて奥州平泉から上京途中の愛妾が、
秀衡死去の誤報をこの地で聞いた。菩提を弔うために道の北側の
お堂を建て、自身もこの地で亡くなったという。
 一方、奥州へ帰国の途中この地でその話を聞いた秀衡は
感謝の気持ちを込めて、道の南側のお堂を建てたという」。

 隣りに「宿馬中」が奉納した馬頭観音堂がある。

 お堂の後に八幡神社がある。この神社は山城国石清水八幡宮を奉迎したものである。

 大正9年(1920)の「はじめしょうわ」の狛犬がいる。
大口で笑ったアと笑いをかみつぶしたようなウンの狛犬。

 まばらな松並木がある。

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 諏訪神社がある。
幟を立てる柱が8本あり、柱の上は竹で飾られている。

 猿顔でガマ足の「招魂社」の狛犬がいるが、
体が真横を向いて顔だけ正面を向いている。

 明治34年(1911)の東京川魚商が寄進した秋葉灯籠がある。
浜名湖の鰻に関係するのか。

 「従是東浜松領」という領界石がある。堀江領との境。

 高塚町の小高い所に熊野神社がある。
高塚の地名の起こりは「熊野神社の神主が安政大地震の津波を避けるためにつくった高塚とか、
地震による多数の死者を葬るための塚であったとの両説がある」。 

 樹齢数百年の昇天松と雲龍松がある。

 昭和15年(1940)の皇紀二千六百年記念の「唐草しょうわ」狛犬がいる。

 なお東海道線に沿った道を西に、舞坂を目指していく。

 緑地の一角に引佐山(いなさやま)大寺院観世堂聖跡の碑がある。
 歌枕の引佐入江はこの辺りという。
万葉集に「遠江引佐細江の澪標(みをつくし) 吾を頼めてあさましものを」の歌がある。

 坪井、馬郡(まんごおり)の家並みは街道筋の面影を残している。

 境内が大きく、立派な銅製の一対の鹿がいる春日神社にいく。

 

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 松並木が数百メートル続き、東海道の面影がよく残っている。

 松並木の歩道に、五十三次の宿がそれぞれ銅板で示されてある。

 舞坂の宿にはいるとすぐ右に、○ヨ印の堀江商店という小さな店で海苔と生利節をみやげに
買う。

 宿の東端に見付石垣が残っている。一里塚跡に太い注連縄を巻いた秋葉山常夜灯がある。

 祭神が蚶貝(あかがい)比賣命、蛤貝比賣命という海の貝である岐佐神社。
明応7年(1498)の大津波の難を逃れた人々が高台に祭ったもの。

 たてがみが豊かで鬼顔の「はじめしょうわ」の狛犬がいる。
大正11年(1922)に「舞阪の機関士」が奉納したもの。

 脇本陣が復元されて資料館になっているが、今日は月曜で休館。

 うなぎ屋「つるや」で遅い昼食。
鰻重を食べていると、後からきたお客が注文した二段の鰻丼の方がおいしそう。

 突先に古い小さな水神社があった。

 ここに、道から海面に向かって階段状の石畳になっいる。
説明によれば「江戸時代舞坂宿には三つの渡船場があったが、
一番南側のものを渡荷場(とうかば)といい、主に輸送用荷物の積みおろしをした所である」。

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 真ん中が「本雁木(ほんがんげ)。
舞坂宿より新居宿の交通は船渡しであるが、
旅人が一番多く利用した舞坂側の渡船場がこれである。
雁木とは階段状になっている船着き場のことである」。

 その北側に「北雁木。主に大名や幕府公用役人が利用したもの
である」。

 それぞれに背のたかい灯籠が立っている。

 浜名港に沿って弁天島の駅までいく。途中で弁天橋から弁天島と赤い大鳥居が見えた。

 弁天島駅から浜松へいき、新幹線に乗って帰宅。

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