家の軒下に非常板とかかれた丸い鉄板がぶら下がっている。
小さな鉄の小槌が一緒にぶら下がっているので非常の時にたたくものであることがわかる。
「糀みそ」の看板がある米穀販売店がある。
広い道に出ると岡部町役場。
スーパーの敷地の一角に五智如来像がある。
「田中城主であった内藤紀伊守に口が不自由なお姫様がいた。
岡部宿の誓願寺の五智如来に願を掛けたところ直った」という。
五智如来とは、釈迦、阿しゅく、阿弥陀、大日、宝生のことである。
松並木がまばらな新道とわかれ、旧道をいく。
道には「油海道」、「御陣屋」、「小字名持田」とかの案内杭がある。
横内開村400年記念の碑や、橋場町地蔵尊(川除地蔵)の小祠があり、
壁にもたれている48番目の一里塚の杭がある。
このあたりの街道全体は表情がなく、黙々と歩く。
葉梨川を八幡橋で渡りなおいくと、青山八幡宮の大きな鳥居があったが、
本殿は山の上にあるので、登り口の里宮で礼拝した。
大きな楠が茂っている須賀神社。
その隣りに鐙ヶ渕(あぶみがふち)と観音堂がある。 ここは「葉梨川の渕でその形が
馬の馬具の鐙に似ていたので古来より鐙ヶ渕と呼ばれていた」。
「昔渕のかたわらに柳の木があり、木に触れた者は浄土往生の志を覚え渕に身を投げた
という。人々はこれを『人取り柳』と恐れたが、後に聖僧により切り取られ観音像として
鐙堂のご本尊とした」という。そこに三体の双体道祖神があった。 |