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第4日  神奈川〜保土ヶ谷〜戸塚        
           (東神奈川)           (東戸塚)  
                      宿間の距離   17.7km    1997.10.04
                      歩いた距離   13.7km   1999.10.23 

横浜線の東神奈川で下車し、神奈川宿から戸塚宿をめざす。

 熊野神社は寛治元年(1087)に紀伊の熊野権現を祭った神奈川郷の総鎮守であった。ここの
嘉永年間(1648-)作製の「江戸」狛犬は大きいことで有名。アにじゃれている子狛が親を見
上げている顔つきがかわいい。この子狛に雄の印があるのが珍しい。

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 その裏に金蔵院という平安末期からの古刹がある。「毎年1月
に住職が徳川家康の御手折梅の一枝を携えて登城する慣わしがあ
った」という。

 近くの神奈川地区センターの前高札場が復元してある。

 汚れた川の横に米国人ヘボン博士の宿舎であった成仏寺。ヘボ
ンは安政6年(1859)来日し、宣教と医療に従事し、明治学院を創
設しヘボン式ローマ字を考案した。
 ヘボンが治療に使ったのは近くにある宗興寺。

 イギリス領事館であった浄龍寺がある。

 神奈川台場跡にいく。勝海舟が設計した海防砲台。現在は住宅地の中に石垣の一部を残す
だけである。

 道路を越えて洲崎神社にもどる。「建久2年(1191)源頼朝が安房国一宮の安房神社の霊
を移したもの。参道が第1京浜に突き当たる辺りがかつての船着き場で、開港後は港と神奈
川宿を結ぶ渡船場となった」。精悍な2匹の狛犬と子狛1匹がいる昭和36年(1961)の「獅
子山」。
 洲崎神社の入り口に亀の甲煎餅で有名な「和洋菓子のうらしま」がある。

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 フランス公使館があった甚行寺がある。

 京急神奈川駅の所で青木橋を渡り国道1号を越えて、本覚寺の
坂を上る。

 本覚寺は開港当時、渡船場の近くで丘の上にあり、横浜を眼下
に望み港内を見通すことができるので、ハリスが自らアメリカ領
事館
に決めたという。この山門は、この地域に残る唯一の江戸時
代の建築物である。

坂を上って高島公園にいく。明治3年(1870)日本最初に鉄道を敷設した高島嘉右衛門の欣望
台がある。「明治2年(1869)に政府は新橋(汐留)から横浜(桜木町)間の鉄道建設を計画
した。現在の横浜駅から桜木町にかけての一帯は海であったが、嘉右衛門が築堤を請け負っ
て期限内に見事に成功した。このことから一帯を高島という」。このほかガス会社や易学の
普及にも功績を残した。

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 上の道から嘉右衛門公園を通って下の道に下ると、神奈川台
関門跡の石碑
がある。幕府は、安政6年(1859)の開港とともに
横浜周辺の重要地点に関門や番所を設け、警備体制を強化した。
ここが神奈川宿の西側の関門である。

 本覚寺と神奈川台関門の間にも旧道があり、この道が広重の東海
道五十三次「神奈川 台之景」として描かれたところである。

 7番目の一里塚があった所に大網金刀比羅神社がある。
 岩山の上に「江戸」狛犬。

 広重の「神奈川 台之景」に描かれたさくら屋という茶屋があった所に、料亭田中屋が
ある。絵の中の海は現在は埋め立てられて道やビルになっている。

 十辺舎一九も「たどりいくほどに金川の台に来る。ここは片側に茶店軒を並べ、いずれも座
敷二階造り、欄干つきの廊下、桟などを渡して、浪うちぎはの景色いたって良し」と書いてい
る。

 台町の緩やかな坂を下ると軽井沢で、ここまでが神奈川の宿。

 さらにいくと小高い山の上に浅間神社がある。この神社は頼朝にゆかりの神社で、江戸名所
図絵に人穴ありと書かれているが、これは横穴古墳のことで、埋め立てられて今はない。慶応
2年(1866)の「江戸」狛犬。足下に子狛がじゃれていてかわいらしい。神主の説明によれば、
これは戦災にあったものを戻したといい、確かに狛犬全体が焼けただれているようだ。
 奥の一角にからす天狗が守っている小さな祠がある。映画「姿三四郎」のロケ地という。

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 自動車の多い道より一本浅間神社側の倉や古い造りの店のある
旧道をいく。にぎやかな松原町の商店街になる。

 右手に橘樹(たちばな)神社がある。ここは「源頼朝公が天下
の平和を祝し、京都八坂神社の御分霊を奉祀した」という。
嘉永5年(1852)のダンボのような耳の「江戸耳長」狛犬がいた。

 近くのうなぎ屋で昼食。

 その先、帷子(かたびら)川を渡り、相鉄の天王町駅を通り過ぎ
る。駅前は広場となっていて、昔の帷子橋が復元されていた。

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 岩間町の辺りは、道がきれいに整備され、
「旧東海道保土ヶ谷宿歴史の道」の案内碑が立てられている。
 この辺りには古い商家が多い。
 保土ヶ谷駅を横目に急に細くなった旧道をいく。

 JRの踏切の手前に、金沢横町道標が4基ある。
 交差している道は金沢文庫に通じる金沢浦賀往還で、
弘明(ぐみょう)寺や杉田へも通じていた。
 道標の一つに其爪の「保土ヶ谷の枝道曲がれ 梅の花」の句が
彫られてある。これは梅の名所杉田への道を示したものである。

 踏切を渡り、突き当たった所が保土ヶ谷宿本陣苅部(今は軽部)家である。そこの説明によ
れば、慶長6年(1601)伝馬の制がしかれ、保土ヶ谷、岩間、神戸、帷子4ヵ町をもって保土ヶ
谷宿となったということである。 

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 道は右に折れていく。
 少しいくと湯殿山月山羽黒山供養塔があって、他にも小さな石
仏があった。

 権太坂の急坂を上る。一帯は住宅地で、馬頭観音だけが昔の名残
を残している。尾根道をいき、境木中学校にぶつかる。左にいく
「投げ込み塚」がある。庚申塔や万霊塔などがあり、権太坂の
途中で亡くなった人の死骸を投げ込んだ所という。

 元にもどり中学校から右へ、境木地蔵堂へ至る。地蔵堂手前に当時「立場屋」の屋号で名物
牡丹餅を売っていたという門構えも立派な若林家がある。

 この地蔵堂は「その昔、鎌倉腰越の海岸に流れ着いた像を江戸に運ぶ途中動かなくなったの
で、ここに祀った」という伝説がある。お堂は格天井で花の絵が彩色で鮮やかである。

 境内の一角にも地蔵が立っていて、その前には草鞋が奉納され懸けてある。

 境木は武蔵と相模の国境である。

 木が鬱蒼とした切り通しの「焼餅坂」を下っていく。

 また上り坂になり品濃一里塚がある。この一里塚は日本橋から9番目のもので、道の両側の
塚がほぼ当時の形で残っている。この状態は神奈川県内ではここだけという。

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  その先の下り坂が品濃坂。この辺りには、大きな構えの農家が多
い。

 環状2号線を陸橋で渡る。

 小高い山に白旗神社がある。由緒書はなかったが参道の階段途中
に、慶応2年(1866)の「江戸耳長」の狛犬がいた。右の子狛は
はいつくばって天邪鬼の様である。

 東戸塚駅より乗車して帰宅。

狛犬一口メモ Q.狛犬には「玉」や「子の狛犬」が必ずいるのか。

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