鶴見川橋で鶴見川を渡る。
ここが鶴見橋関門の旧跡である。安政6年(1859)横浜開港にともなって、攘夷派の浪士が外
国人に危害を加えることを防ぐため横浜への主要道路の要所に関門や番所を設けて、きびしく
取り締まった。鶴見橋関門は、万延元年(1860)4月に設けられたものである。
文久2年(1862)生麦事件が発生したことにより、川崎宿から保土ヶ谷宿の間に20ヵ所の見
張り番所が設けられた。
「信楽茶屋は鶴見村でもっとも大きな茶店で、竹の皮で包んだ梅干しが売られて」有名であっ
たとのことだが、その説明板が置かれている所に現在は「らーめん信楽茶屋」がある。 |