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第5日 芦野〜白河
今日の日程も厳しいので、朝食をとって、 ホテルを8時前にでる。
菖蒲川に沿っていくと、水田の中に参道がある湯泉神社がある。
嘉永4年(1851)の「尾下がり」の狛犬がいる。 右アは、小さな玉に手をかけているが、座っていないで、今にも走り出そうとしているようだ。 左ウンはどっしり座っている。
近くの田の中の一郭に、南北朝の頃の芦野氏の居館跡がある。
芦野宿を出て、柳街道の向こうに神の宮神社がある。
芭蕉の「田一枚 うゑて立去る 柳かな」の句碑がある。
旧陸羽街道に出て、すぐに峰岸地区への細い道にはいる。
十九夜塔がある。 牛の形に似たべこ石がある。 「芦野宿の戸村忠恕が嘉永年間、道徳を作興する趣旨」が彫られたべこ石の碑がある。
小さい坂の頂上に、板屋の一里塚がある。
旧陸羽街道をひたすら北上する。
集落の中の旧道にはいる。 白壁の塀に囲まれた大きな平屋の家がある。
左側の大久保地区に行く。
街道に出ると、瓢(ふくべ)石がある。 30センチもある瓢箪の形の石である。 これは、箱根霊験記の主人公飯沼勝五郎が敵討ちのため、 足の治るのを待ってここにかくれている間、 手なぐさみに彫ったものであるという。
白河市:マンホール
ここに、戊申の戦役で大垣藩士の酒井元之丞が戦死したという碑が立っている。
坂を上って進むと、皮篭地区で、 きれいに花が植えられた池がある。
坂を下ると稲田があり、 刈り取った稲わらが 列にして干してある。
そこに、戦死墓と彫られた大きな石柱があり、 長州、大垣藩の戦死者6名の墓である。
白河宿にはいっていく。
大工町にある皇徳寺にいく。
小原庄助の墓がある。 墓石は、台石が銚子の袴、竿が徳利、笠が盃である。 庄助は会津塗師であった。 戒名は「米汁呑了信士」で、 辞世は「朝によし 昼になおよし 晩によし飯前飯後 その間もよし」。