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第2日   氏家〜佐久山  

                    歩いた距離  21.0 km   2008.09.20

                

osyu2-01.JPG  前日の台風の影響で、早朝は湘南新宿ラインが運休していたので、
地下鉄銀座線で上野まで行き、7時58分の快速ラビットで宇都宮に行き、
乗り換えて、氏家駅に9時48分についた。
 氏家に着いた頃には、台風一過で青空が徐々に広がってきた。

 駅前の通りには、大谷石の大きな倉庫を改造したそば屋があった。
 右に、氏家氏の菩提寺の西導寺がある。鐘楼が立派である。

osyu2-02.JPG osyu2-03.JPG  181号線に出てすぐ右に、光明寺がある。
 お堂の屋根の上に
大きな青銅の不動明王がある。
 向かって右の目は細くにらんでいて、
左は大きく開いて見下ろしているようである。
 また牙も、右は下を向いているが、
左は上を向いている。

 街道に出て少し歩き、右に曲がり、293号線を行く。
 大谷石の家漆喰の塀長屋門の屋敷がある。

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 十九夜塔、二十三夜塔、二十六夜塔が一カ所に集めて、おかれている。

 左に、八幡神社がある。
 境内が広く、ここは昔から相撲興行が盛んであったことから土俵が造られている。
 明治38年(1905)の「江戸」狛犬がいる。
 右からア・ウンで精悍な顔をしている。石工は石屋治平である。

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 稲田がつづく。

 明治時代の新道と分岐するところに、大黒天がある。
 古い大黒天の土台に「不」の記号が刻んである。
 これは、明治のはじめイギリスが測量をしたとき、
高低標(現在の水準点)としてつけた記号で、
日光道中の草加市の浅間神社の手洗い石にあったものと
同じ記号である。
 ここは、標高が158.0866mという。

osyu2-10.JPG osyu2-11.JPG  奥州道中は左の山道で、
右の広い道は、明治末から大正初めまで
氏家駅前から喜連川本町まで
人車鉄道が走っていたという。
 かつて、根府川往還を歩いたとき、
小田原から熱海まで人車鉄道
走っていたことを、知った。

 左の旧道を行く。

 弥五郎坂を登っていくと、古戦場がある。
 天正18年(1549)、那須氏と喜連川塩谷氏が宇都宮氏と闘ったところであるという。

 杉並木の坂を下りていくと、小さな三面の馬頭観音像がある。
 「阪を下りて 左右に藪あ里 栗おつる」と彫られた大きな河東碧梧桐の句碑が立っている。
 近くに、ほほえみ仏がある。なかに子どもを抱いた母親像もある。
温和な顔をした石像で、苔むしているが新しいものと思われる。

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 明治の新道と合流する。

 坂を下りると、「右 江戸道 左 下妻道」という石の道標が立っている。

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 連城橋で荒川を渡ると、
喜連川宿である。

 立派な蔵のある民家があり、
落ち着いたまちである。

 喜連川藩主の足利家の菩提寺である
龍光寺がある。

 左の石段の上に、喜連川神社がある。
 石灯籠が、玉石を組んだ台座の上に立っている。
 昭和11年(1936)の「江戸」狛犬がいる。
 右からア・ウン、子・玉である。狛犬が前脚を子狛や玉におそるおそるのせているのがおかしい。
台石にも、狛犬が刻まれている。喜連川消防組が寄贈したもので、石工は諏訪○○武雄である。

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 大正8年(1919)の「江戸」狛犬もいる。だいぶ石がかけている。石工は金田○○である。

 街の駅「本陣」というペンキ塗りの食堂にはいる。
 食堂に入って、矢絣の和装のウェイトレスを見た瞬間、
テレビ放映されていた「街道てくてく旅」で、四元奈生美がこの食堂で昼食をしたのを思い出した。
 大正15年(1926)に建てた警察署を改装したもので、
署長室とか留置所とかの室名の看板が懸けられている。

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 内川を金竜橋で渡る。

 人家も少ない道をひたすら北上する。

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 道辺に、夫婦が寄り添っている双体道祖神が立っている。

 明治天皇御小休之際御膳水の石標がある。
 そこにも双体道祖神がある。
 先のほほえみ仏と合わせて、
喜連川には、ほほえましい石仏が多いようだ。

 黄金色の稲田にまじって、花が薄緑色に輝くそば畑がある。
 水田がつづく。

osyu2-25.JPG osyu2-26.JPG  大田原市にはいる。

大田原市:マンホール

 この辺りは、源平合戦にでてくる弓の名手の那須与一の郷里で、
「与一の里」「与一温泉」のように与一の名が、ふんだんに使われている。

 前坂を登り坂を下り、佐久山宿にはいった。

 奥州道中の関連で、白河の関に是非行きたいと考えていた。
しかし、奥州道中から離れているので、歩いていくのは無理だと思い、
娘たちに車で連れて行ってもらうことにした。
 そのため、佐久山宿で娘たちと落ち合い、家族全員で那須高原のペンションに泊まる。

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