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第1日   宇都宮〜氏家  

             歩いた距離  23.1km       2008.09.14

                

  「街道と狛犬 見て歩き」を久しぶりに再開した。
 昨年4月14日、2年以上かけた日光道中を、東照宮まで歩いて以来である。

 つくし野を6時34分に乗り、渋谷で湘南新宿ラインに乗り換え、
宇都宮線の宇都宮を9時15分に下車した。
 日光道中を歩いたときの道と連続させるため、駅を出て上河原まで戻り、右折する。
田川を幸橋で渡る。青空の下、緑の中を川が光って流れている。
幸橋の欄干に、金属製のレリーフが貼ってある。
かつての宇都宮の初市風景や水神信仰と関係のある梵天祭の風景幸橋の遠景などである。

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osyu1-04.JPG  博労町で、広い道にぶつかる。
 そこに、旧篠原家住宅がある。
「奥州街道口の豪商で、醤油醸造や肥料を商っていた」。
 蔵造りの商家である。
 現在は郷土の人形などが展示された博物館になっている。

 奥州道中である125号線の旧陸羽街道を、北上する。

 右に、八坂神社がある。境内は狭いが、由緒ある神社である。
 頭が大きく、太っている江戸くずし」の狛犬がいる。
 右からア・ウンで、ギザ歯の獅子顔である。大正3年(1914)で石工は増浦善吉である。

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osyu1-08.JPG 通りには、大谷石の蔵や白壁の長屋門が青空に映えている。

 東北新幹線をくぐる。

 右に、白山神社がある。
昭和50年(1975)の「しょうわ」狛犬がいる。

 刈り取り前の稲田がつづき、徐々に農村の風景となる。

osyu1-09.JPG  桜並木のゆるやかな稚児坂をのぼる。
 右に白坂地蔵堂がある。
 「鎌倉時代、源頼朝の命をうけ、
伊沢家景が奥羽総奉行として東北に向かう途中、
子どもが亡くなり、ここに地蔵堂を建てました」。
これが坂の名の由来である。

 白坂宿にはいる。
 「白沢宿は、明治になっても大いに栄えました。
 明治18年、奥州街道が現在の国道4号線に移り、
おかげで宿のおもかげを今にとどめています」。
  牛馬の守り神であるという「勝善神」の大きな石塔がある。

osyu1-10.JPG osyu1-11.JPG 民家にはそれぞれ
昔の屋号「紺屋」
「碇屋」
などの木札
掛けられている。

osyu1-12.JPG  街道を離れたところに、小さな須賀神社がある。
 白沢宿の七福神の一つで、弁財天が祀られている。
 境内との境に農業用水が流れていて、
そこに木製の遊歩道が造られている。

 街道にもどる。

 左に、長い石段のある白髭神社がある。
 昭和3年(1928)の太ってぶさいくな江戸くずし狛犬がいる。石工は石治である。

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osyu1-16.JPG  宿の中の道路脇に清流が流れ、小型の水車もあり、
家並みも保存され全体に落ち着いたまちである。

osyu1-17.JPG  本陣跡と木札のかかった、緑が多い宇加地家がある。

osyu1-18.JPG  白沢宿をでると一面黄金色の稲田がつづく。

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 鬼怒川を阿久津大橋で渡る。
 川では、多くの人が鮎釣りをしている。

 氏家町、喜連川町が先年合併した「さくら市」にはいる。

osyu1-20.JPG  右側の高尾神社に行く。
 この神社は「鬼怒川と関係の深い水神信仰が原点」という。
 石段を登ったところに、
平たい顔で太った大正12年(1923)の「江戸くずし」狛犬がいる。
 石工は中山長谷吉である。

 社殿の前にイヌ」の狛犬がいる。目鼻は彫りがあさく、「はじめ」のようである。
 キバはあるが、尾がまいているので「オオカミ」ではない。
 境内には、「先代」が1対置かれている。

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osyu1-24.JPG  将軍地蔵がある。
「室町時代のころ、ここから日光山に修行にいったお坊さんが
意地悪山伏に素麺を無理やり食べさせられ気絶しました。
 別のお坊さんが来て日光中の素麺を食べつくしたので
山伏は降参しました。
 お坊さんは将軍地蔵の姿となり、
気絶したお坊さんを連れて勝山に帰りました。
 これからそうめん地蔵伝説が生まれ、
強飯式が起こったと言われています」。

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 左に、勝山城跡があり今は公園になっている。

 右折し、稲田の中を行く。

 JR東北線の旧奥州街道踏切をわたる。

 氏家の市街に向かう181号線で左折するところに、大きな馬頭観音石仏にはさまれて、
石の道標がある。
 この道標は「享保以前の設立」で、
「右 江戸海道」「左 水戸 かさま 下だて 下づま」と彫ってある。  

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 ここが氏家宿の南端で、奥州道中はカギの手に曲がり木戸番所が設けられていたという。

 すこし行くと、「伝馬町」、「穀町」と看板がでた氏家の市街にはいる。
 氏家の駅で乗車して、宇都宮で乗り継ぎ、帰宅。


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